昨日、2024年10月31日付で大和出版印刷株式会社の代表取締役を辞任いたしました。
20年間務めることができましたのも、多くの方々のご指導、ご理解、ご協力のお蔭と心から感謝しています。
同時に取締役も辞任し、経営から一切身を引くことにしました。
後任は先代である私の兄の長男、つまり私の甥です。20年にわたる三男による中継ぎから長男の流れに戻ったという訳です。
私はこれから関西学院大学大学院教育学研究科での研究に勤しみ、キャリア教育の推進等、教育関係でお役に立てるよう努めます。
なお、兵庫県印刷工業組合理事長職と近畿地区印刷協議会会長職の任期はあと1年半ほど残っておりますので、任期満了まで務めさせていただき、印刷業界への恩返しを果たしたいと思います。
人生の第なん章目か分かりませんが、新しいチャプターの始まりです。
与えられた生命を精一杯大切に生き抜きたいと思います。
今後ともご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。
頑張りまっせ!
人はなぜ働くのか
今日は高校1年生を対象に「人はなぜ働くのか」というテーマで話をさせていただきます。
この2年、「プロに聴く」というテーマで6月にお手伝いさせていただいたキャリア教育のプログラムに、今年は出張が重なり参加できなかったのですが、先生方のご好意によりまして、今日の機会を与えたいただきました。
昨年までのグループではなく、全1年生が対象ですので、しっかり想いを伝えたいと思います。
高等学校でのキャリア教育の意義について研究している大学院生にとって、これ以上ない機会を与えてくださったことに感謝しながら、私の想いを若者にぶつけたいと思います。
76期末に
今日は当社創業者である祖父の36回目の命日。
じいさんは38歳の時に起業し、78歳で亡くなるまで40年間社長を務めた。
小学生の頃からおじいちゃんにはとても可愛がってもらった。
切手を買ってもらったり、トンカツ屋さんをハシゴしたり。
関西学院中学部の入学試験に合格すると、お祝いにたらふく食べさせてくれた寿司のせいで、おじいちゃんの財布を空にしてしまった。それなのに、馴染みの本屋さんの店長にお金を借りてまでプレゼントを買ってくれた。僕と別れた直後に公衆電話からおふくろに苦情の電話を入れているが。
大学生になると庶民的な全国チェーンの居酒屋に連れて行ってくれ、よく飲ませてくれた。二人で5,000円に届くことはなかった。
色々買ってくれたり、飲み食いさせてくれたが、とうとう最後まで現金は1円ももらったことがない。
私は36歳で社長になり、20年務めている。じいさんの半分の長さだが、兄貴の6ヶ月はもちろん、親父の15年より長く務めている。
院生生活日記03
先週で教育学研究科1年の春学期の講義が終わりました。学部にある定期試験というものがない代わりに、期末には課題やレポート、発表等があり大変でしたが、それも全て提出が終わり、これで夏休み!と言いたいところですが、院生に夏休みはありません。
秋学期が始まるとフィールドワーク等に取り組まなければなりませんので、夏休み中にその準備を終えておかなければなりませんし、先行研究を読み漁らなければなりません。
それにしてもあっという間の3か月半でした。もの凄く大変な3か月半でした。初めて研究というものに触れた3か月半でした。そしてとても充実した3か月半でした。
こんな充実した時間を過ごすことを許してくれたすべての方々への感謝の思いでいっぱいです。
これから1年半の間に「高等学校におけるキャリア教育の意義・あり方」について研究を深め、社会に役立つ人間になりたいと思います。
このblogも先行研究を読む合間に院生研究室で書いています。
関西学院大学大学院教育学研究科1年
武部 健也
3期目
昨日の総会・理事会におきまして、兵庫県印刷工業組合の理事長に再任されました。
同業の先輩からの言葉「たけちゃんって不思議やな。人望も実力も無いのに色んな役職任されてるよな。」
リーダーとして「頼りない」というのも大切な要素の一つかもしれません。周りに「助けてやらなければ」という意識を生み出して、組織を強いものにするのでしょう。私は意識してそのようにしている訳ではありませんが、結果的に組織強化に繋がれば、大変喜ばしいことだと思います。
理事長らしい人になるのではなく、私らしい理事長で3期目に臨み、印刷業界への恩返しに努めたいと思います。
20年
今日は当社先代社長である兄貴の命日。
ちょうど20年が経った。
あの時の兄貴より15も歳上になったが、今でも5つ上に兄貴がいるような感覚がある。
2004年5月2日は晴れて暑い日だった。
イングランディーレが天皇賞を逃げ切り、21時から「オレンジデイズ」が放送されていた日。
たしかあれは兄貴があの世に行った翌年のじいさんの命日。
一人墓参を終えて墓前から離れようとした時、背中の方から「頑張れよ」という兄貴の声が聞こえた。
しばらく動けなかった。涙が溢れた。
私が社長と呼ばれるようになって20年も経ったということ。
20年も。
親父は15年、兄貴は半年。
院生生活日記02
大学院の授業が始まり一週間が経った。
6年前に学部に入学した時に感じたものと真逆のものを感じている。
同期生は4人。講義の数は学部より圧倒的に少ないが、講義の半分は受講生が私一人。ほぼ家庭教師状態。で、学費は学部より低い。
講義の数は確かに少ないが講義前後に課題が多く、かなり大変である。
ただ院生控室には各自一つ机が与えられているので、環境は申し分ない。
そして同期生は皆優秀で動機がしっかりしているので、刺激的である。
6年前とはやはり真逆の印象である。
23時まで使用可能な院生控室を22時くらいに出る時は必ず「お先に」と言って出る。
大変であることは間違いないが、充実した一週間である。
関西学院大学大学院教育学研究科1年
武部 健也
院生生活日記01
本日は関西学院大学大学院教育学研究科の入学式です。
6年前の大学の入学式で、スタッフの方々に何度も保護者席へ導かれたことを思い出します。
さて、今日はどうなるか。
そして2年で修了できるのだろうか。
関西学院大学大学院教育学研究科1年
武部 健也
自戒
現在放送中のドラマ『不適切にもほどがある!』の第1話で、阿部サダヲ演じる1986年から2024年にタイムトリップしてきた中学校教師のセリフ。
「こんな未来のために、こんな時代にするために俺たち頑張って働いてるわけじゃねえよ。」
先日東京で観劇し、来週京都でもう一度観劇予定の舞台『あゝ同期の桜』(https://unclecinnamon.com/news/18436)は遊就館で流したものと同種の涙なしには観られない。
「こんな未来のために命を懸けて祖国を守ろうとしたのではない。」
と言われている気がしてならない。
今を生きる我々は先人たちから受け取った時代を、未来の人々に繋いでいかなければならない。
我々が創造したのではないものを、我々が破壊することは決して許されない。
それどころかより良いものにしようと文字通り命を懸けてくださった先人たちのためにも、我々も命懸けでこの世の中を良くしなければならない。
現在の排他的で不寛容な世の中は、先人たちが望んだものでもなければ、現在を生きる我々、未来の人々が望んでいるものでもないはず。
しっかりと考えて行動に移さなければ手遅れになってしまう。
ドラマ・舞台から考えさせられた春。教育の重要性をあらためて感じた春。
領収書
今日は親父の命日。
あれから15年。
喪主挨拶でおふくろが語った「子煩悩な人でした」は息子に向けた言葉だったと思う。
ぶっきらぼうだったが、愛情に満ちていた人だったと伝えたかったのだろう。
今日は昨年3月に授与された領収書を持ってきた。
30数年前に私が内緒で勝手に大学を中退したことを知った親父が発した言葉。
「お前にとっては卒業証書かもしれんが、俺にとっては学費の領収書や!もらってこい!」
56歳の今なら、55歳だった親父の言葉の意味がよく分かる。