社長冥利

参りました。
涙でモニターが滲み、胸が熱くなりながらキーボードに向かっていますが、言葉が出てきません。
普段声がかれるまでしゃべり続ける私ですが、言葉が見つかりません。
「ありがとう」より深く感謝する言葉がどうしても見つかりません。
大連のみんな、本当にありがとう。
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新しもの好きの当社がまた新たなサービスを始めました。2011年にふさわしい新サービスです。
そのサービスの名は「あじ名刺」(商標出願中)。
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2011年の新サービスにふさわしく当社の最年長(1962年生まれ)の印刷機がその主人公。
活版印刷機による名刺作成が新サービスなのです。
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活版時代の印刷では凹凸を出し過ぎたり、かすれを出すのは下手な職人がやることでしたが、現代においてはそれが「あじ」ととらえられていますので、あえて凹凸を出すように圧をかけて印刷します。
しかしその前の工程までは完全デジタル化。「あじ名刺」にふさわしいレイアウトを6パターン、用紙を3種類、刷り色を3色設定し、その中から好みのパターンを選んでいただいてデータ生成、そのデータから硬質樹脂版を作成しプラテンT(活版印刷機)で印刷するという流れです。
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箱は大阪の箱ヲタク作で現在Pen and message.さんの店舗で好評受付中。
それにしても活版印刷機による名刺作成サービスのメイン担当者が、デジタル系システム担当の営業マンであることがおもしろい。バランス感覚が優れてるなぁと自画自賛。

ここまでおいで

年金支給開始年齢の引き上げについてのニュースを見ていると何だか暗い気持ちになる。
42.195km走ればゴールって言われて走り始めたのに、やっぱり60kmくらいにしようかなぁと言われた気分。
走り続けていたらまたゴールを先に延ばされそう。結局力尽きるまでゴールを先に延ばし続けられるんじゃないだろうか。
どこまでも走り続けられる道があればいいのだが。
でも先日お邪魔した気仙沼の前向きな人たちの話や、先日亡くなったスティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学卒業式での式辞を思い出すと、そんなことで下を向いていてはいけないとも思う。
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社内へ目を向けると80歳の職人が20代女性オペレータに、私より年上である1962年製の元気な活版印刷機で技術と同時にモノ作りの魂を伝授しながら仕事をしている。「年金をあてにするような生き方はせぇへんぞ!」とでも私に言っているように。
みんなを見習っておっちゃんも神戸で頑張るわ!るかちゃんに作ってもらったミサンガを見ながら・・・。
しばらくはこんな感じが続きそう。

二回目の気仙沼3

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昨日は朝から南気仙沼小学校の学童保育のみんなとのぬりえ日本のワークショップ。お世話になった公会堂に最後のモップ掛けをして出発。
南小は津波の被害を大きく受け、現在は廃車置場になっているので、高台にある気仙沼小学校の校舎を間借りしている状態。数年後には合併予定だったものが少し早まるようなことを聞いた。
7月に初めて気仙沼入りして最初にワークショップを行ったのがここ。そのため私には特別な思いがある場所。そしてその時に一所懸命黙々とぬり絵を細かく塗ってくれたるかちゃん、元気いっぱいだった妹のりんちゃん、おしゃまなきららちゃんや帰る車を走って追いかけて手を振ってくれたあやかちゃんは特に気に掛かる存在。えこひいきしてはいけないことは分かっているが、どうしても気になってしまう。
準備が整う頃には学童保育用の教室にみんなが集まり始めてきた。運動会の代休であるこの日は朝から学童保育が行われている。残念ながらきららちゃんやあやかちゃんは休みだったが・・・。
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来た来た、るかちゃんとりんちゃんの姉妹だ。おっちゃんは再会に心躍らせてるでぇ。
カバンを置いた二人は早速机の上でミサンガを作り始めた。どうやらこの姉妹の今のブームらしい。一心不乱に編み続けていた。再会に心躍らせているおっちゃんの気も知らずに。
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みんなで大きなぬり絵を一緒に。私もるかちゃん・りんちゃん・りょうちゃんと一緒に。
3ヶ月前よりみんなとても明るく元気になっていることに驚いた。家を流されちゃったるかちゃん達も3ヶ月前とは比べものにならないくらい明るくなっていた。一人黙々とぬり絵に取り組んでいた3ヶ月前のるかちゃんは、妹とも友だちとも笑顔いっぱい。お花屋さんになりたいって言ってたのに今はデザイナーになりたいって嬉しそうに恥ずかしそうに話してくれた。おっちゃん嬉しくって涙が出そうやったで。
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楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、みんなとのしばしの別れ。るかちゃんは「ありがとう!また来てね!」と手を振ってすぐに友だちの元へ走って行った。妹のりんちゃんやりょうちゃんは車が見えなくなるまで大きく手を振ってくれていた。どちらもおっちゃんは嬉しかったで。
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学生たちに見送られ14:26気仙沼駅発の列車で出発し、22:00前には神戸に着いた。
あっという間の4日間が終わった。
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宝物が2つ増えた。おっちゃんまた行くで!

二回目の気仙沼2

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今日は朝から宿泊させていただいている公会堂の地域の皆さんへのお礼を兼ねた足湯のイベントのお手伝い。
経験のない私はウロウロするばかりで役立たず。
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午後からは時間がない中どうしても南三陸町の現状を見たく車を走らせた。
3ヶ月前から進んだと感じるのは地盤沈下と瓦礫の撤去、復興が進んでいるという実感は残念ながら強くは持てなかった。ただこれは復興へ力を注いでいる方々には甚だ失礼なことだということも承知している。
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夜はボランティアの皆さんとの食事会。
頼ること、頼られること。これがお互いの役立ち・依存の一面があることも少し分かった気がした。「お互い」の。
さぁ明日は神戸に帰る前に南気仙沼小学校のみんなとの再会だ。

二回目の気仙沼

昨日から3ヶ月ぶりの気仙沼入り。
今日は午前中市内を回る。
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あれから7ヶ月が経つというのに…。
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るかちゃんたちが通っていた南気仙沼小学校の校庭は今は廃車置場に。
ただただ言葉を失う。
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鹿折小学校では複幸祈念まつりが行われており、地域の皆さんの活気を感じた。
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午後からは五右衛門ヶ原の仮設住宅にある集会所で足湯ボランティアの皆さんとぬりえ日本とのコラボレーションワークショップ。
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元気いっぱいの子どもたち、家を流されて先が見えないと嘆きつつ、家があった場所にヘメロカリスの花が咲いたと笑顔を見せてくれるばあちゃん、その花言葉「憂いを忘れる」ということに感じるものがあると言う。
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晩は宿泊させていただいている公会堂の近所の方々が、そば・天ぷら・さんまをボランティアの人たちにふるまう夕食会に便乗させていただいた。
現在、満腹のため一歩も動けない状態。ごちそうさまでした。

埃なき誇り

印刷の現場には紙粉や乾燥促進用のパウダーなどが飛散しがちです。もちろん集塵機を設置したり調温調湿に適した換気器を導入したりして対策は講じるのですが、どうしても工場内は汚れがちです。しかし微細な網点で表現する印刷にはその汚れは大敵いや命取りになるものです。
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当社の工場です。
分かりにくいかもしれませんが、大変美しいです。
手前味噌ですが大変美しいです。くどいようですが大変美しいです。
以前はそう言い切れませんでしたが、現在のスタッフは機械も機械周辺も大変美しく保ち、良い環境の中で良い仕事をしようとする意識が高いので言い切れるようになりました。大変美しいです。
しかし上には上がいるようです。来週スタッフ2名が、その翌週には私ともう一人のスタッフが新潟県にある日本一美しい印刷工場と言われる印刷会社の見学に行く予定です。先日その会社の社長と話す機会があり、印刷業界の常識では考えられないような取り組みを自信満々に語られる姿に羨ましさを覚えましたが、いつか超えてみせるとの気概を持って見学させてもらうことにしました。当社のスタッフたちにも良い刺激となることでしょう。
そうそう、その前に明日から気仙沼に行ってきます。7月に一緒にぬり絵をしたるかちゃん、あやかちゃん、きららちゃん達は元気にしてるかなぁ・・・。楽しみです。

なので

「わぁ(は、)」で始まる言葉が気になっていました。
これ分かりますか?
例えば「あなたは昨日何をしていましたか?」という問いに対して「わぁ(は、)一日中寝てました。」と「私」を省いたり、「昨日の夕食は何でしたか?」という問いに対して「わぁ(は、)ハンバーグでした。」と「昨日の夕食」を省くというものです。主語を省いてしまうという大胆さには驚くばかりです。
「冷奴の方お待たせしました。」とか「生ビールになります。」とか「10,000円からでよろしかったですか?」等も気になっていて使われる度に若い店員に注意するおっさんになっていたのですが、最近「なので」がとても気になりだしました。一旦切られた文章が「なので」で始まるのが気になりだしたのです。
完全な間違いではないかもしれませんが、履歴書に「○○と考えておりました。なので、私は・・・」と書かれた文字を見た時、耳で聞いていて気になっていた気持ちがさらに大きくなってしまいました。
どうですか?気になりませんか?
一人で気にしているのも嫌だったので、一人でも多くの人を巻き添えにしたかったのです。
これを読んだ人は「なので」が気になり始めますよぉ!
(と書いてからこのサイト(バイト敬語)を見たら100%間違いとは言い切れないものもあるようですね。
言葉は時代によって変化するものですから、将来的には正しい用いられ方と認められるかもしれません。
ただ私はとても違和感を覚えます。古い人間なのかなぁ・・・。)

趣味は?

と聞かれると困る。
一応付き合えるよう何でも手を付けてきた。
ゴルフ・フットサル・草野球・麻雀・酒・釣り・・・。
話も合わせられるよう、映画・音楽・お笑い等の文化や社会・政治への浅くても広い知識を持つよう努めてきた。
しかし全てにおいて深くのめり込めないので趣味や凝っていると言えるものは無いに等しい。
聞かれると「競馬」と答えているが、馬券も買っていないのに録画してでも見るくらいだから趣味と呼んでもいいかと思っている程度なので、単なるギャンブル好きに思われているだけかもしれない。
一昨日ようやく趣味にしてみようかと思うものに出会った。
「散歩」である。「トレッキング」でも「ウォーキング」でもなく「散歩」。
先々週の週末から何となく始めてみたのだが、一昨日、午前中から動き出してブラブラと少し早歩き程度で散歩を始めて「趣味にしよう」と思った。
散歩はいい。気楽でいい。
ジョギングをしようとウェアやシューズはもちろんあらゆる小物も揃えてみたものの、着てみるとこれは本格的でモタモタ・ヘロヘロ走るにはあまりにも格好が良すぎた。で、断念。
山歩きもやってはみたものの、目的地まで登らず途中で引き返すなんて格好悪いので、結局無理をして登り切ったため、完全に億劫になってしまった。
ところが散歩ときたら自分が行きたい所まで行って引き返せばいい。神戸では北へ向かうと上り坂なので体力があるときは北へ、疲れてくると東西へ、もっと疲れると南へ向かえばいい。山と違って上り下りは自分で選択できる。
一昨日、MP3プレイヤーを付けて歩き始めたが、5分で外した。せっかくだ、音も楽しまなければ。ツクツクボウシの鳴き声や工事の音、ピアノを練習する音、犬の声。
考え事をしながら歩いているが、リュックに短パン袖を捲ったTシャツ姿に似合うのはおむすびくらいか。
神社を見つけたら必ず賽銭をして柏手を打つのが何となく決まってしまった流儀。
推定年齢80歳のお客さんが通りを無事に渡るまで睨みつけるように見送る推定年齢80歳の散髪屋のおやじさんの愛情に触れた温もり。
駐車場に止まっている2台の車のナンバーが息子と娘の誕生日と同じである偶然に出会った喜び。とんでもなく古くボロく汚い家があの大震災にも耐えた驚き。
早く走れば見逃してしまうもの、山を歩けば見ることができないものでも街を歩けばたくさん見ることができる。そして色々なことを考えることができる。
これはもしかすると趣味になるかもしれない。
「趣味は散歩」と断言できる日が来るのか?それとも昨日買った歩きやすそうな靴はきれいなまま次の季節を迎えてしまうのか・・・。

切ない声

昨日23:48に私が録画した動画。場所は三宮の少し東。

「俺の心の叫びを聞いてくれぇ、ミンミー」
「何年も日の当たらないところで頑張ってきたのにぃ、ミンミー」
「どこかに素敵な女性はおらんのかぁ、ミンミー」
「台風の中も耐えてきたのにぃ、ミンミー」
「山の中でずっと頑張ってきたけどもうあかん、ミンミー」
「俺のツレはみんな彼女できたのにぃ、ミンミー」
「俺の人生はこんな終わり方するんかぁ、ミンミー」
「お~い誰かぁ~、ミンミー」
「でも最後まで諦めへんぞぉ、ミンミー」