再起動

少し前のどこかの省庁じゃありませんが、実は弊社は前期に人心一新しました。
当たり前すぎる当たり前ですが、企業はやはり人です。本当に当たり前ですが人です。
当駄ブログで弊社の設備の自慢はよくしてきましたが、今回は社員を自慢したいと思います。
弊社の事業の軸は印刷です。その中でも枚葉オフセット印刷というものは輪転印刷機の小ロット化対応や各種プリンタの高品質化・高速化に板挟みの状態です。しかし枚葉印刷には両方にない超高品質という可能性があります。同時にできるだけ環境負荷を軽減したエコロジー印刷というものにも可能性があります。ですから我々はそのどちらにも高次元で対応すべく努力しています。それを実現する核になるスタッフがこの会社に集結してくれました。まだまだ骨組みだけですが、しっかりとした筋肉をつけていきたいと思います。
もちろん高品質印刷は印刷機上だけでは実現できません。高品質用データ作成も大変重要な要素です。その辺りには以前より頼れるプロの集団で対応していますので安心です。
オフセット印刷だけではなく活版印刷・大判UVインクジェットプリンタ・オンデマンド印刷、さらには以前から注力しています電子書籍・プログラム作成・データベース構築等のdigital関連事業にも引き続き取り組んでいきますので今期も「印刷もできる印刷会社」を念頭において歩んでいきます。
また今期はCI・ブランディングを含めプランニングやデザイン等のソフト面の強化にも既に着手しておりますので、さらにパワーアップします。
「情報のワンストップサービス」がいよいよ実現します。
全てにおいて品質にこだわるモノづくりのプロの集団になりました。
私の理想とする姿に確実に大きな前進を遂げました。
今、私の周りにいる社員は本当に素晴らしいです。大いに胸を張ることができます。
今日は弊社の元日。目一杯アピールしてみました。
さあ、野田内閣と共に弊社の64期が始まります。

温故知新

今のdocomoのC.M.響くなぁ。渡辺謙のギターとセリフかっこええなぁ。
先週の日曜日急に思い立って散歩してみた。
三宮からブラブラと。
ボーっと。
目的地もなくただブラブラとボーっと。
東へ向かっていた。
午後だったので太陽と反対方面に歩きたかったのだろう。
東へボーっと歩いた。
気が付けば王子公園辺り。
小学2年生の終わりに須磨へ引っ越す前に友だちと王子動物園に来たなぁ。
みんな元気かなぁ。俺はほとんどの奴のフルネーム覚えてる。みんなええおっさんやろうなぁ。死んだ奴はおらんやろうなぁ。
ここまで来たらもう少し東へ歩いて生まれ育ったまちへ行くことにした。
桜の季節は名所になる坂道も今は緑のトンネルの生活道路。あんなに広いと思っていた五毛天神も驚くほどこじんまり。こっちも同じように感じた護国神社、体だけはデカくなったようだ。篠原公園の遊具はあの頃のまま、胸が熱くなる。
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走りまわって熱くなった体を冷やしてくれたベンチ。数え切れないくらい渡った橋。忍び込んでバッタを追いかけた水道局の施設。木の根をジャンプ台にして兄貴たちや近所の兄ちゃん連中と遊んだ平五郎、お供えのベビーカステラをいただいてしまってごめんなさい。
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生まれた時家族で住んでいた文化住宅前、今でもあることが嬉しい。明るく良い子はお空を見上げすくすく伸びる「やさしく、つよく、ほがらかに」緑の摩耶山楽しいな摩耶幼稚園楽しいな、今は駐車場。小学2年まで通った摩耶小学校、クスノキは相変わらずでけぇ。水道筋辺りで一番好きな場所、串カツ・帽子・レコード、素晴らしい。
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もちろん色々悩みは多い。当然。悩みのない大人なんて存在しないだろう。
でも落ち込んでいる訳でも悲観的になっている訳でもない。むしろその逆。
そんな中少し深く考えて悩んでいる雰囲気を味わいたいと思い、昔住んでいたところを散策したり墓参したりしている。
しかし目の前にはやるべきこと、やりたいことが山ほどあるので前向きな気持になってしまう。決してのんきに楽観的になっている訳ではないし、難しいこともたくさんあるのだがワクワクしてしまう。
眉間に深くシワを刻み渋味のある男になりたいのだが、赤ん坊のようにツルツルの眉間。
振り返る過去。悪いことや間違ったことはたくさんしてきた。人一倍してきた。でも大きく道を踏み外さなかったし、殊に会社の経営者になってからはブレずに正しいことを貫いてきたことだけは胸を張れる。性別・年齢・国籍・付き合いの長さや関係などにとらわれず是々非々を貫いてきたことにも胸を張れる。
今日は弊社の大晦日。目一杯振り返ってみた。
さ、菅内閣と共に弊社の63期が終わる。

ミチオシエ

昨日は弊社創業者である祖父の23回目の命日だったので墓参りに行ってきた。
今期(弊社は8月決算)は(も?)色々あったのでその報告と来期を見守ってくれるようお願いする意味を込めて墓へ向かった。
実は昨日の午後涼しい部屋で墓参しようと思った直後、外の猛烈に暑そうな景色を見た瞬間やはり墓参は止めて会社の応接室にある写真に手を合わせてお茶を濁そうと思った。しかしそんなことを許してくれるじいさんではあるまい、きっと恐ろしいバチをあててくるに違いないことに気付きやはり墓参してくることにした。
危ない危ない。
以前にも書いたような記憶があるがやはり今回もいた。
一匹だけいた。
私はこいつにも会いにきているような気がする。
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キャリア教育

それにしても打たれ弱い人が多くなったと思いませんか?若者もそれなりの年齢の人も男性も女性も。
私をよくビンタしてくれたあの先生、少しかわすと手の甲で往復ビンタしてくれたあの先生、一発で脳震盪を起こしそうになるグローブみたいな手をしたあの先生、悪かった私を叱ってくれてありがとうございました。体罰を勧めるものでも当時を恨んで嫌味を言っている訳でもなく純粋に感謝しています。
言うことを聞かない私の部屋に無言で入ってきて、全巻揃っていた「ドカベン」「マカロニほうれん荘」「ブラックジャック」を黙々とガムテープでグルグル巻にして捨ててくれた親父、私にとって生涯初となった拳での顔面全力パンチを入れてくれた先輩、本当にありがとうございました。
打たれ強さってそういうことじゃないのですが、やはり躾や教育ってものの大切さを痛感します。おまえが言うなって言われそうですが、私の周りには悪いことをしっかり正してくれる人たちがいました。言いつけを守っていますと胸を張って言えないところもありますが、本当に感謝しています。
キャリア教育の重要さをしみじみ感じます。社会に出ている人にこんなことを言うのは失礼に当たるのではないかと思うほど、恐ろしく幼稚で基本的なことを言わなければならない場面が多くあります。そういう人に限って打たれ弱いのです。困ったものです。
学ぶこと、働くことの動機付けができていないので大変脆いのです。学校だけではなく地域社会が一体となってキャリア教育を充実させないとこの国の将来には光が射さないと思います。少し話が大きくなってしまいましたが、心底そう思っていますので社業と両立しながら役立てればと考えています。
そろそろそんなことを考える年齢になってきたのかなぁ・・・。

人を信じたいのだが・・・

日本の経営者は性善説のお人よしが多いと言われたり、性善説に基づく経営は過ちであるように論ぜられることが多い。
確かにお人よしだけで経営は成り立たないだろうが、性善説に基づき人を信じる事も大切なのではないかと思う。いや、正しくは思っていた
色々大変だ。
「新型うつ」で検索。皆さんご注意を!
俺じゃないよ!ん?俺?大丈夫だと思うけどなぁ・・・。
「まさか」ってやっぱりあるんだ。想定していたことであったから「まさか」ってほどのことじゃないけど、実際に起こると本当に悲しいもんだ。
「裏切り」でも「信じる」。残念ながら信じきることができない人間になってしまいそう・・・。既になってしまってる?そんなの悲しいじゃないか。

私をあまりよく知らない人たちへ

私はかなり口うるさい人間です。失敗の多い人間ですが、同じ失敗を繰り返すことがとても嫌いです。情に厚い反面恐ろしく残酷な一面もあります。
お前がどんな人間かなんて興味ないわと言われればそれまでですが・・・。
先日ある人から「あなたの言っていることは時間が経ってから分かる。」と言われました。
そうなんです。私は難しいことは言っていないのです。言えないのです。立場上人に色々なことを要求します。自分がしないこと・できないことも要求することがあります。その際は内容を十分吟味してから行いますので、無理難題を言うこともないはずなのです。ただそれだけ準備してから伝えますし、殆どの場合相手が納得せざるを得ない状況であり内容の上、私の言葉は大変乱暴でありますので、本意が伝わりにくい状況がよくあるのです。
それを自覚しているのだったらもう少し気長に待ったり、柔らかい言葉で伝えればいいのでしょうが、理解して実践してくれる人も多いですし、自分では何度も同じ事を伝え十分に待っているつもりですからしょうがありません。伝わらなかった場合は完全にやりきった感があり、悔いは残りません。でも次に同じような状況を迎えることがあれば少しでも上手に伝えるようにしようと思っています。
最近も同じようなことがありました。
昨日墓参しじいさん・親父・兄貴に尋ねましたが、今回は私が正しいと答えてくれました。
少々の重荷なら背負っていく自信も覚悟もあるのですが、後ろ向きに引っ張る力はあっさり切り捨てて前進していきたいと思います。
冒頭の言葉、後で理解されてもしょうがないんだけどなぁ・・・。

私をよく知る人たちへ

は?武部がボランティア?柄じゃない!
ごもっとも。武部とボランティアは相当遠いところにある。間違いない。
そもそも牛タンに誘われてのこのこ仙台へ行くことからこの話は始まる。
尊敬する仙台の同業の社長から牛タンを食いに仙台に来いと。その際阪神淡路大震災の経験を少し話せとのこと。気軽に引き受けると東北地区の印刷業界のイベントの特別講演会。しかも90分。これには困った。しかし引き受けてしまったし東北の皆さんに直接会える機会、久しぶりに仙台に行かせてもらおうと思った。
同時に支援している学生ボランティアがその時期に現地入りしているので、合流して一緒に活動させてもらおうという感じ。
しかも学生たちは5月に既に一度気仙沼入りしていてボランティアセンターの方々との関係も築いているし、街の様子や宿泊する公会堂のことも下見済み。つまりお膳立てしてもらい私でも邪魔にならないことを確認してもらっていたので大変行きやすい状態にあったのである。
ただもともと人の役に立ちたいという思いもあったし、16年前には随分心配していただき、物心に渡り励ましていただいた。そのことへの恩返しもしたいと思っていたし、動けるうちに動きたい。また「やる」「やらない」で悩んだら「やる」をとろうと常に思っているので、今回の行動は実はそれほど意外なことではない。
やっぱり行ってよかった。
子どもたち・お年寄り・仮設住宅で暮らす方々と直接触れ合うこともできたし、現地で活動されている方々の生の声を聞くこともできたので、神戸からでも役立てる可能性を感じられた。
またチャンスを作って現地へ行きたいと思う。
子どもたちの笑顔、街の人々の力強さに触れ、勇気を共有したい。
どう?やっぱりらしくない?
でも、私でもこう感じるのだからあなたならもっと・・・。

気仙沼最後の夜に

日記のようにこのブログを更新してきましたが、最後の夜となりました。
被災地の惨状に目を覆うことと、被災者の皆さんの力強さに驚かされることの繰り返しでしたが、常に流れていたのは「優しさ」でした。
あらゆる瞬間に「優しさ」がありました。
それは「思いやり」でも「感謝」でもありますし、「もどかしさ」や「押し付けがましさ」や「配慮に欠ける」部分もありました。
でも全ては「優しさ」に起因するものなのです。
しっかりと方向・方針・方法を示す人がいて皆を納得させることができればとても大きな力になることが分かりました。
人間の強さ、結束力の強さを学びました。
×0(掛けるゼロ)の怖さを知りました。
神戸に帰ってからもできる限りのことをしたいと思います。
この日記替わりのブログで一人でも多くの人が被災地への思いを深めてくれたらと思います。
この日記替わりのブログを懐かしい思い出として復興遂げた街で読み返す日が近いことを祈ります。
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欲求

昨日は朝から近くの保育所に避難されているお年寄りの皆さんとのぬりえ。
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ここには5月に筑波大学の学生2人が来ていたので覚えていただいていました。
皆さんすぐに楽しくお話ながらぬりえしてくれて本当に温かい時間が流れました。
子どもたちとは少し違う笑いの絶えない時間を過ごすことができました。
次に来る日を楽しみにしてくださっている皆さんに学生たちは力強く再会を約束していました。
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午後からは画像のアーカイブ化を進めている皆さんのお手伝いとしてスキャニングを行いました。胸が痛む画像ばかりでしたが、記録して後世に伝えることは重要なことです。色々課題は多いようですが、技術的には我々が充分にお役に立てそうでしたので、今後もお手伝いさせていただきたいと思います。
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「役立ち」あらためて考えさせられます。

4か月も経ったのに

昨日は朝少し作業してから時間があったので、南三陸町へ。
テレビでも何度も見たが、惨状に言葉を失った。
あまりのことにそこにいた5人全員が言葉を失った。
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午後は気仙沼市内の中学校のグラウンドに建てられた仮設住宅へ花や飲み物を配りながら、今週末に集会所で行うぬりえワークショップの宣伝活動を。
仮設住宅に暮らす方たちと言葉を交わしていると我々が労われる。
感謝の言葉がこんなに力になるなんて40年以上生きてきたのに知らなかった。