うるう年がある関係でまる6年経った今年、7つの曜日が一周してあの日と同じ土曜日の5月1日。
あの日の夕方、誘った社員全員にふられ一緒に飲みに行く相手がいない私に、「今から大阪に飲みに行くけどお前も来るか?」と。「帰りのこと考えたらめんどくさいからええわ。」そう私が答えるのを分かっていたかのように「そうか、ほなお先に、さいなら。」
これが兄貴との最後の会話。会社を出て行く後姿が最後に見せた姿。
私のメイルアドレスは「kenbo」。アドレスを聞かれるたびに恥ずかしいので「ケイイーエヌビィオー」と言う。私にはろくにニックネームが無いが、バイト先の先輩が呼び始めてくれた「けんぼー」が気に入っているのでメイルアドレスにした。
会社でドメインd-wa.co.jpを取得したとき、社員に希望メイルアドレスを提出させた。当時システム管理者だった私は専務だった兄貴にも同様に提出させた。社長だった親父にはメイルアドレスは付与しなかったので、私は兄貴が当然takebeを取るだろうと思っていた。そのため先にkenboを取得し送受信のテスト等を行っていた。ところが兄貴が提出してきたそれは「anny」。ん?アニー?何じゃそれ。尋ねると武部兄だから「あに」→「アニー」→「anny」とのこと。
O型の典型で細かいことは気にせず頓着しない男のようであったが、本当はこんな男だったのだ。
未だに当社のアドレスに兄弟で譲り合うようにした「takebe」は無い。
今年も30人を超える人が今日の兄貴を偲ぶ会に集ってくれる。ありがたいことだ。
41歳で逝った兄貴を42歳の私が偲ぶ。
大切なこと(大人気ない私-待てばいいじゃないか-)
昨日は東京から戻ってきました。来月はベトナム行きの予定もありますので、旅役者のようであります。
一昨日の上京前、新神戸駅でスウィーツを買おうと思いました。その日には女性二人に会う予定でしたし、新神戸駅には最近よくメディアに取り上げられている有名な店もありましたからそこのものを手土産に上京しようと思っていました。ショーケースの中に取り上げられたメディア名や分かりやすい商品の解説文も見られましたので、おっさんの私にも迷わず買い物ができるよう親切になっていました。そこで売れ筋の商品2つを指さすと「申し訳ございません。」というかわいい女性店員の声。「まだ入荷していないの?」「いえ、あります。」「じゃ、これをそれぞれ1つずつ。」「申し訳ございません。営業が9時からでして。」時計を見ると8時54分。準備万端で美しいショーケースの上部を暇つぶしのように拭いている店員に、「いや、商品もあるんだから売ってよ。」「申し訳ございません。」「何か問題あるの?」「申し訳ございません。営業は9時からですのでもう少しだけお待ちください。」
有名なショップだし、ここの社長と何度か話したこともあったので、どうしてもここのものを買おうと思っていましたが、この店員の態度に呆れ果て、二度とここでは買わないと決心した次第でした。そういう訳で手ぶらで上京したのです。ごめんなさい。
そこで1998年11月3日の朝のことを思い出しました。
私の誕生日が11月1日で、長男の誕生日が11月3日ですので、間の11月2日に招待券をもらっていたホテルに合同誕生日会ということで家族3人で宿泊していました。翌朝の11月3日に朝食のためレストランへ行き、ミールクーポン2枚を出すと、「失礼ですがお子様はおいくつでしょうか?」というかわいい女性スタッフの声。「あ、そうか6歳から子供も子供料金が必要なんですね。今日が誕生日で6歳になったんですよ。」「それはおめでとうございます。どうぞ。」と言って席へ案内し、子供の料金を取らなかったのです。一見して権限を与えられているようには見えない若い女性スタッフが、瞬間の自分の判断で料金の請求をしなかったことに驚くと同時に心地よさを感じました。そこで上司に相談に行かれたりしたらあっさり請求された方がよかったと思うでしょう。その女性スタッフの瞬時の判断で、このホテルがどのように教育しているか、何を一番に考えて行動すべきと指導しているかが分かり、本当に気持ちの良い思いをしました。
新神戸駅の洋菓子店の店名は書きませんが、このホテルは神戸ベイシェラトンホテルです。
ここまで書いた瞬間にディズニーランドのお子様ランチの話を思い出して胸が熱くなりました。
社員諸君、忘れてはならぬぞ!
引越し
昨晩大連から帰ってきました。今回の大連行きの目的はオフィスの引越しでした。
3年半親しんだオフィスとの別れは寂しいものになるかと思いましたが、全くそんな気持ちになりませんでした。それもそのはず同じビルの1フロア下に移っただけですから。
でも、少し広くなったオフィスは気持ちを新たにするには充分。土曜日の社員との食事会での皆の嬉しそうな前向きな顔に大いに手応えを感じ、私までさらに前向きな気分になれました。
それにしても見事なチームワークによる引越しでした。
同じビル内での引越しということで専門の業者にほとんど頼ることなく、マシンの移動・ネットワークの再構築を日中の社員が事前の打ち合わせを綿密にした上、当日の作業も完璧にこなしました。私はそれをただ見て、写真の撮影をして、お疲れさまの乾杯につきあっただけでした。
大連の夕日に3年半の時間を思い、嬉しく暖かい充実感に包まれました。
桜前線
今年も4日間にわたって
これらを
こんな風にして
こうしてやりました。
「手加減必要無いで!」とオーダーした私に、「思い知れ!」と出してきたオヤジ。
ナイスなオヤジだなぁ。
それにしても「思い知れ!」と言われて食べ物を出されたのは初めて。きっと最後だろうけど。こんな経験も楽しい限り。
媒体
ミュージックプレイヤーはいいね。
CDからもネットからダウンロードしたものも混在できるし、プレイリストに分けて同じ曲でも気分によって他のジャンルの曲と組み合わせたりできるので、同じ曲を色々な角度からカテゴライズできるのは本当に素晴らしい。
レコードとカセットテープの時代もよかったね。
この曲から何秒くらい早送りするとあの曲が聞けるとか、この曲のちょうど裏面はあの曲とかアルバムの曲順等も覚えたし技術も必要だった。その後頭出しの機能やオートリバース機能が出てきてその技術も不要になってしまったが・・・。
レコードを何枚も並べて自分のベスト版を作った。これは大変根気も時間も必要な作業だったが、とても楽しかった。しかし欲張って90分テープにしたもんだからデッキに巻きついてしまったとか、そんなのに限って高いメタルテープだったりとか・・・。(このあたりは30歳代以下の人には理解できないかもしれない。)
レコードからCD、カセットテープからMD、今ではメディアがなくミュージックコンテンツを直接プレイヤーにダウンロードする時代。そう考えるとメディアっていうのはプレイヤーの登場や流行に左右されるものなんだと改めて考えさせられる。
でもレコードにしてもCDにしてもジャケットのデザインや内容も味わい深いものがあるし、メディアそのものの存在感やそれを傷つけないように扱う愛情も音を楽しむことの一つだと思うのは古い考え方なのだろうか。
我々が扱う文字や画像情報も変化していくメディアに表現できるよう努力してきた。メディアはFD、MO、CD、DVDと変化し、その都度適切な様々なファイルフォーマットで表現できるように。
そして現在では音楽と同じようにサーバに加工したデータを格納し、PCや携帯電話などのプレイヤーで閲覧してもらうようになった。つまりメディアがどんどん排除されていっているのだ。
しかし紙への印刷だけは特別だ。印刷会社を経営する者だから言うのではない。もう一度言う、紙への印刷だけは特別だ。なぜなら印刷物はコンテンツとプレイヤーが一体となっているのである。
サーバに格納されたPDFファイルもCDに書き込まれたHTMLファイルもDVDに書き込まれたMPEGファイルもプレイヤー無しに見ることはできない。単なるコンテンツである。しかも現時点においてそれらは電気というエネルギーを必要とする。しかし印刷物はそのものだけで情報を得ることができる。しかも電気というエネルギーも必要としない。
迫りくる電子書籍の時代も大いに結構。しかし紙媒体の良さも同時に見直されるのではないだろうか。長期間にわたって保存された実績を持つメディアでもあるのだし。
それにしてもやっぱりミュージックプレイヤーはいいね。
今朝出勤途上で聞いてきたのは「funeral」と名付けたプレイリストの曲たち。これらは私の葬儀でかけてもらう曲を集めたもの。これがなかなかいい。
皆さん私より長生きして聞きに来てください。
切磋琢磨
先日終わったバンクーバーオリンピック。全体的に盛り上がりに欠けた感があったのだが、女子のフィギュアスケートはかなり盛り上がったと思う。
素晴らしい結果だと私は思ったが、銀メダルの選手の目に光る涙と悔しさを表すコメントには本当に感心させられた。自分の力の全てを発揮できなかったことを悔しがっているのだ。プレッシャーの中での演技が終わり達成感に浸りきってもいいと思える時なのに。
最高難度の技に挑戦すべきという男子銀メダリストのコメントもあったが、現在の採点基準においては女子の金と銀の得点差は妥当だとする意見が正しいようである。
金メダル韓国選手、銀メダル日本選手。
ちょうどその頃日本の自動車メーカーがリコール等の問題で世界を騒がせていたが、薄型テレビの世界シェア2位に韓国メーカーが追いついたというニュースもあった。追いつかれたのは日本メーカー。因みに1位も韓国メーカー。
金メダル韓国企業、銀メダル日本企業・韓国企業。
「Made in Japan」は「良品」の証だったはず。その神話は我々の世代がしっかり守らなければならないのではないだろうか。
最近我人祥太のように憂いを感じてばかりだが、銀メダルに満足せず金メダルに向かう彼女を見習って前向きにいこう。
腹立つわぁ
顧客から預かった金を職員が着服するという事件を起こした金融機関が、再発を防ぐため営業担当者に現金を持たさないという措置をとるらしい。今まで現金の出金を持ってきてもらっていたが、これからは支店へ行かなければならない。
どの企業もサービスの質の向上に取り組みお客様に満足していただこうと努力しているのに、今まで行ってきたサービスを自分のところの都合により一方的に廃止する。そんなことが許されるのだろうか。もちろん不正を行えないようにする仕組み作りは大切であるが、それを顧客に不便という形で押し付けていいはずはない。
この金融機関は金を貸してやっているという意識が根強いのだろう。そうでなければ平気でサービスを劣化させることを行うとは思えない。
業界の常識は世間の非常識とよく言われるが、顧客を無視した企業が衰退することはどの業界にも通用する常識なのではないか。我々はそうならないようお客様第一を貫くことを当たり前のこととして再確認し、ここに宣言する。
どこか良い金融機関はないものだろうか。
12回目の大連にて
大変久しぶりの更新になってしまいました。何回か書きかけてはいるのですが、色々なことが起こり続け更新の機会を逸していました。
少し前の話になりますが、先月末に行った大連での話です。
今回は大連での日本語DTPを取り巻く環境の現状視察が主な目的でしたが、春節前の忘年会も兼ねてきました。
まず書いておきたいことは、大連の社員一人一人の成長の総和が全体の仕事の質・量の向上に繋がっていることが手に取るように分かり、大変嬉しく思ったことです。
約3年前に会社を興したときにはまだまだ日本語の理解度も低かった社員たちが今は私の日本語を通訳無しでも理解できるようになっていましたし、仕事に対する目の輝き、自信を持った態度、達成感から出る笑顔を本当に心強く思いました。
もはや日本側が一方的に指導する段階は終わりつつあり、共存共栄切磋琢磨の段階に入っているように思えました。
そんな中、日本のぼんやりムードや方向転換の速度の遅さにタイタニックを感じ、このままでは日本全体の沈没に繋がるのではないかという思いを持たざるを得ませんでした。
しかし大連の街の汚さやそのことに対する意識の低さには公共道徳心の欠如を感じ、この分野ではまだまだ遅れているのも事実だと思います。プリウスに乗っているくせに窓からタバコをポイ捨てするおっさんがいるような国に公共道徳心を語る資格は無いかもしれませんが。
国益について語るほど深く考えたことも学んだこともありませんが、モタモタしていると本当に日本はダメな国になるのではないかと感じました。
まず借金がここまで多いと節約だけでは済まないと思います。会社でも家計でも支出を抑えると同時に収入を増やす努力をするでしょう。同時に行わなければいけないと思うのです。ですから徹底的に無駄を排除してくれるなら増税を口にして立候補した候補者も当選すると思うのですが、いかがでしょう。
日本のみで国益を考えてはいけないと思いますが、日本はしっかり国益を考えなければいけないとも思います。
国として世界に存在価値を示し続けるためにはやっぱり教育が最重要だと思います。自分の子供をしっかり教育できている自信は全くありませんが強くそう感じます。教育は良い結果を得るためにとても時間が掛かることですし、あらゆる失敗を取り返すにも相当の時間が掛かると思います。難しいことですが正しいことを素早く行わなければならないと強く感じました。人として会社として国として。
今回で12回目の大連だったのですが、これだけ深く考えて感じたのは初めてでしたので、書いておかないといけないと思いました。私の考え方のネガティヴな部分が間違っていてほしいと思っています。未来に読み返したときにバカなことを書いてたなぁと思えますように。
間もなくあれから15年
今年の会社のテーマを「keep&change」にしました。
変わりさえすればいいというのではなく、守るべきところは守り変えるべきところを変え、変わるのを待つのではなく自ら変え、また守るために変えるという気持ちからのものです。
先ほど昨年の年頭に何を書いたか読み返してみたところ、とても似たことを書いているではありませんか。一貫しているといえば聞こえがいいですが、自分で何を書いたか忘れるようではいけません。でも嘘偽り、美辞麗句を並べたのではなく本心からのものであることに間違いはありません。今年も会社(大和出版印刷株式会社・株式会社dignet・大連迪拓信息技術有限公司)を社会のお役に立てるものにしたいと思っています。
それにしても「未曾有」「踏襲」「頻繁」を太字にしているところに一年の時の流れを感じます。何にでもいいですから書いて残しておくことは楽しいことですね。今年はこのブログもそうですが、万年筆でLiscio1ノートにたくさんのことを書いていこうと思います。
来年の今頃どんな思いになっているかワクワクしながら2010年を迎えましたが、今年は良い一年になりそうな予感がしています。
よいお年を!心から
今年は本当に嫌な一年でした。
振り返りたくもない一年でした。
忘れてしまいたい一年でした。
でも先ほどそんな一年はないんだと思い知らされました。
人との別れを怖がっていてはいけないんだと思い知らされました。
よかったこともあったんだと、息子のように思ってるプロボクサーが教えてくれました。
ろくに正しい日本語を話せない出来損ないの息子のようなプロボクサーが教えてくれました。
いいこともあった、無駄な時間ではなかった一年でした。
いい一年でした。
来年はもっといい年にしなければなりません。生きていることを素晴らしいと、また思える一年にしなければなりません。
いい男です。来年の小路尚也には大きな期待が持てます。
皆様にとっても来年がよい一年になることを心から願っています。
来年、厄が明けた私にもご期待ください。
では!