好物

7年前、灘区新在家の居酒屋のオヤジに重症の納豆嫌いを治してもらってから基本的に好き嫌いはなくなった。
パクチー(香菜・コリアンダー)だけは苦手だが、全くダメということでもない。何かのサナギとか幼虫だとか所謂ゲテモノは別としてやはり嫌いな食べ物はない。
では、好きな食べ物は何だろうと考えていたが、多過ぎて「これ」と言えるものがなかった。しかし先日ようやく「これ」と言えるものが見つかった。
これがあれば酒を飲まずに飯を食っても、飯にかけても、うどんを入れてもいいって食い物。これが私の一番の好物だ。これがあればさっさと帰宅したくなるくらい。
学生時代に東京のツレがうちに泊まりに来ていたときの夕食にこれが出たとき、そのツレは全て残さず食べ終えて部屋を移った後、「何だよ、あの白い汁。お前の母ちゃんは料理が上手だから何でも美味いけど、あの白い汁だけは悪いけど食えねぇ。」と。我慢して完食してくれたらしい。
具は鯨の皮がいいな。味噌は全く入れない方が好きだな。材料には小林春吉商店のものを使ってほしいな。
「お前の好物なんか興味ない!そんなんしらんっしらんっ!」という声が聞こえてきそうだが、書いてしまう。
今日はそいつがうちにあるので、まっすぐ帰るとするか!「お先に!」

世の中そんなにあまくない

本当はここで完走の感想を報告をするつもりでしたが、そんなにうまくはいかないものですね。
喫煙休止から1年と少し経ったものの全くの運動不足の状態から40分程のウォーキングを10回弱、3km程度のジョギングを2回、ラジオ体操を約2週間ではね・・・。
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ベスト体重から8kgオーバーで臨んだ昨日の三田でのハーフマラソン。オーバーペースにならぬよう慎重に走ったかいがあって比較的楽に走れていました。
しかし、大事にいき過ぎてしまって、10.4kmのチェックポイントの50m程手前で無念の時間切れ。70分で10.4kmに到達しなくてはならないところだったのですが、私は10.35kmしか走れませんでした。
折り返し点とチェックポイントを勘違いしていた上、後半に上り坂が続くため少し温存しながら走っていたところ、温存し過ぎてしまいました。余力があったので時間を追うごとに悔しさが募るのですが、あれ以上行くと危ないということで親父や兄貴、姪が止めてくれたと思うことにしました。
それにしても目前での関門閉鎖は本当に呆然だったなぁ。
ま、あの程度の準備では完走は無理ということですね。ウェア等身の回りの準備は完璧だったのですが・・・。
来年の完走を目指すのはもちろんですが、フルマラソンの完走を目指したくなってきました。そのための準備をしっかりしないといけないのですが、昨夜のビールは滅茶苦茶美味かった!今朝の体重はベスト体重から9kgオーバー。なんじゃそれ!

久しぶりに

いいことですね。
歩きながらとか車の中からタバコの吸殻等をポイ捨てする愚かな者たちの目に留まって、自分たちの恥ずかしい行いを改めてくれればいいのに・・・。
未だにポイ捨てする人間の気持ちが理解できません。何とかならないものでしょうか。
このニュースに喜びを覚えると同時に、継続・広がりに期待します。
http://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/0002569803.shtml

20091026

私には2人の息子と3人の娘がいた。
北京から帰ってきた先週の月曜日の夜、風呂から上がった直後の電話で下から2番目の娘に大変な事態が発生したことが鳴り響くサイレンの音と共に知らされた。
間に合わなかった。
病院へ着いた時には15歳の娘は、5年前に亡くなった彼女の実の父親のもとへ旅立った後だった。
私の41歳最後の日に彼女を見送った。
昨日42歳になった。このブログを始めて4年が経った。喫煙を休止して1年が経った。
日々を重ねていけることは幸せなことだ。
私は自戒もこめて社員に「道具を大切にしなさい」と言う。自分の仕事のための道具を大切にできない人間はプロフェッショナルではないと言い続けている。それは社屋であったり、PC・社用車・印刷機等を指していたわけだが、それ以前にもっと大切な道具のことを忘れていた。
喫煙を休止して1年。この間体重を6kg増やしてしまった。
暴飲暴食・不規則生活・慢性的睡眠不足・・・。こんな中でも元気にしていることを自慢していたが、愚行の一語に尽きる。
心に深く刻み込むことができた。もう私から大切なものを奪わないでほしい。
もう勘弁してほしい。

運命、人生、命、重さ、儚さ、絶望、脱力、無念、憤り、無力、後悔、申し訳ない。
命、人生、意味、運命。
嘆き、痛み、後悔。
悲しみ、儚さ、無力。
意味。
何ができる?何をしなければならない?なぜ?
役割、役目。
運命?
希望、目標、努力。
運命?
夢、儚い。
痛い、痛い、痛い。

温故知新

私が42歳になる15日前を無事に迎えた先週の土曜日に、当社に先輩方や長年お付き合いいただいている協力会社の方々を迎え、同窓会のような懇親会を行いました。きっかけは今年2月の親父の葬儀に参列してくださった方々と楽しい場でお会いしたいというところからでした。
まず技術の進歩に驚いてもらうべく社内を見てもらいました。
営業部では以前は手書きで複写式だった作業伝票が、受注管理データ等と統合されデータベース化されているところや、ホワイトボードに書いていた営業スケジュールがイントラネットの上にあるところなどを見てもらい、情報の共有化・有効活用を感じてもらいました。
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Digital事業部では最新のPC群による画像処理、デザインの工程やwebサイト制作、プログラミング、ネットワーク・サーバ構築等、70歳以上のOBたちにはおそらく外国語に聞こえたと思われる説明があったり、大連の会社を映すライブネットワークカメラやCTP(コンピュータから直接印刷用の版を出力するシステム)を見て感嘆の声を上げてもらいました。
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比較的分かりやすいPress事業部での印刷機の説明にも、ここ10年くらいの技術革新に皆さん相当驚いた様子でした。
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その後場所を移して行った懇親会では、皆さんに褒めていただいたり励ましていただいたり・・・。
自分たちが育ててきた会社が今も元気であることを喜んでくれていましたし、現役社員との交流も大変喜んでくれました。
現役社員も歴史の重さを感じるとともに、現在までの達成感と今後への使命感を強く感じたことと思います。
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私はあらためて我々がバトンを受け取ってから歩んできた道の正しさを実感し、勇気を持って前進し続けていこうと強く思いました。
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もちろんじいさん・親父・兄貴にも参加してもらいました。
では今から大連に行ってきます。

はい、投票した私はおかしいです。

思えばこの約1ヶ月、心の奥底にずっとイライラ・モヤモヤがあったような気がする。
あれは8月30日の夜、正確には8月31日未明。
政権交代が成し遂げられた総選挙の結果を受けて、それを分析したりゲストのコメントを聞いたりする番組を見ていたのだが、その司会者が「国民はおかしいよ!」と。
この司会者ベテラン有名優秀ジャーナリストだそうだが、前政権が解散しないことに常々「国民の信を問うべきだ」「信任を得ていない政権だからダメなのだ」と繰り返し言っていたではないか。
投票結果を見て「国民はおかしいよ!」とは何事だ!
人の顔に向けて指をさしたり、自分の意見だけ言ってCMに振って相手に意見を言わせなかったりともともと嫌いだったが、「国民はおかしいよ!」は許せない。
書きながらもっと色々罵る言葉で書きたい気持ちも出てきたのだが、どれだけ書いてもスッキリするものではない。
いい加減に忘れなくては。
日曜日の朝10:00からは散歩の時間にでもするか・・・。

果たして・・・

「ブエナビスタ」が札幌記念で負けて秋の目標であった凱旋門賞出走を断念した。ファンから圧倒的な支持を得て、勝利間違いなしと思われていた馬の敗北であるから各方面にショックが広がった。
今度こそ間違いなしと毎年のように言われている「笑い飯」が未だにM-1チャンピオンになれないでいる。それどころか最近3年は最終決戦の3組にも残れていない。
前者は馬のレースだが、後者は人が選ぶものなので前評判の高さでハードルは上がるし、風向きもアゲインスト寄りに変わるようだ。
ここ数日の各報道を見ていると、前評判とか予想通りの結果にならないことも多いのにと思ってしまう。
ディープインパクトとエアグルーヴの仔あたりが無敗で凱旋門賞挑戦するようになればなぁ。
「ゆったり感」「銀シャリ」「チョコレートプラネット」「ハライチ」「かまいたち(海賊ネタ)」あたりがM-1の決勝に進んでくれたらなぁ。
30日の投票率が75%くらいまで上がればなぁ。

ようやくやってきた暑く熱い夏

「官僚たちの夏」好き。キャスティングやストーリーそのものはもちろんだが、オープニングのC.G.も好き。
世のため人のため、この国のために身を粉にし自己を犠牲にし、自分の省や部署、天下り先、自身の利益なんか全く考えずひたすら国益のみを考える官僚がいることは本当に国民にとって幸せなことだ。税金を納めることを喜ばしくも思える。
政治家も同様。確固たるビジョンを持ち、ぶれずに国民のためになることのみを考え、自己の保身を考えず国の将来を大所高所から判断し、方法論について堂々と官僚と議論をし尽くす。そして必要に応じて民意に自らの身を委ね、民意を得た場合には試験により選ばれた官僚に正しく仕事をさせる潔さ。こういうリーダーに恵まれている我々は幸せの一語に尽きる。
今や悪の権化のように「カンリョー」という言葉をよく耳にするが、まさか「官僚」という字を書くのではないだろうな。
「セージカ」も同様。まさか「政治家」と書くのではないだろう。
同じ読み方をするだけなのに「カンリョー」のせいで「官僚」が悪く思われることも、「セージカ」のせいで「政治家」が悪く思われるのも非常に残念だ。
私は政治家も官僚も尊敬している。
政権公約という意味で使われているマニフェスト。4年前の「ユーセーミンエーカ」という風が吹いた選挙でも当然あった。その時政権を取った政党は自ら検証しているのだろうか。まさか前の約束は守らず、別の新たな約束をしようとしているのではないだろうな。
「それは先代との約束でしょ。私との約束ではありません。」
「あの方針を決めたとき確かに私は取締役でしたが、あの方針には実は賛成ではありませんでしたから。」
こんなこと言いながら同じ看板を引き継いで会社を経営したとしたら、お客様は私を許してくださるのだろうか。
そう考えると「セーケンヨトー」を守り続けるというのは常識と羞恥心を相当捨てなくてはならないのだな。
「セーケンコータイ」という風が現在吹いているようだが、風だけでなくその中身を吟味して投票したい。やっと投票させてもらえるのだから。
政治ネタを書くと色々心配してくれる友人がいるが、私は私が考えていることを垂れ流すように書いているだけ。特に意図は無い。
私がひたすら願っているのは投票率が上がることだけ。どこの政党が政権を取ってもそれが民意なのだから、結果を誰もが受け入れる。民主主義の大原則だから当然。
ただ、限りなく100%に近い有権者の投票によって選ばれた政権が舵取りをする国に住みたいだけなのだ。
2005年の総選挙の投票率は約67.5%。

乞うご期待!

一昨日の朝の飛行機で東京から戻ってきてそのまま出社しました。半分ボ~っとしながら溜まっていた仕事を片付け帰宅し、早く寝ようと思っていたのですが、テレビでK-1を観てしまい興奮してなかなか寝付けませんでした。昨日も早く帰って寝ようとしたのですが、ボクシングの試合を観て長谷川選手の芸術的なKO勝ちに興奮してなかなか寝付けず疲れが取りきれていない感じです。
でもその疲労感は不快なものではなく、達成感を伴う心地のよいものなのです。
東京国際ブックフェアでは弊社のブースに大変多くの方に足を運んでいただきました。
1年前に予約したということで主催社から角地を与えられましたし、プロにデザイン・施工をお願いしたブースも大変きれいなものでした。また、イベントコンパニオンの二人も明るく接客してくれましたし、本当に実りある出展になったと思います。
同時に神戸で留守を預かってくれた社員、東京に一緒に行った社員はもちろんですが、毎日のように入れ替わり立ち替わり訪れてくださった諸先輩方にも本当に感謝しています。励ましやお褒めの言葉がどれだけ嬉しく力になったか計り知れません。
今回の出展内容をご紹介しますと、まず印刷関連では「高精細印刷」「環境保護印刷」。前者の展示には多くの方々がルーペで網点を覗いてその細かさに驚きの表情を見せてくれましたし、後者への皆さんの関心の高さにも触れることができました。
次にシステム関連では「d-proof」と「自動組版」をメインに出展しました。こちらはありそうでなかった便利なツールに多くの方々に興味を持っていただけました。我々が使いたいと思い開発したものですから、印刷業・出版業の方を中心に大変便利であると高い評価をいただきました。
他にも「ユニバーサルデザイン」にも高い関心を持っていただくことができ、1996年公開したwww.d-wa.co.jpの基本コンセプトである「for the people」「for the earth」が我々自身にしっかり根付いていることを大変嬉しく思いました。
今回の出展の目玉の一つに万年筆の書き味にこだわって作った紙「Liscio-1(リスシオ・ワン)」もありましたが、大変高価な紙製品のため反響はそれほど大きくならないだろうと思っていました。しかし様々なサイトで取り上げていただいたこともあり、大変大きな反響があり驚いています。期待の大きさ、商品開発の希望等の生の声を聞かせていただきましたので、直ちに商品開発・製造・販売に着手いたします。その様子はfromkobe.jpでお知らせしたいと思います。
ジっとしてミスさえしなければ今まで通り仕事をいただけて、社員やその家族、協力会社の皆さんも幸せになれるのであればこんなに楽なことはありません。何にも挑戦しなければいいのです。
新しいコンピュータを導入し電源を入れるだけで、便利で素晴らしいシステムができるのであればこんなに楽なことはありません。最新の情報を入手し続ければいいのです。
新しい社屋を建てて新しい機械を買えば美しい印刷物ができるのであればこんなに楽なことはありません。資金繰りさえできればいいのです。
良いものを作りたいという意思を持つ我々が、歴史の上に新しいものをつくりあげるという向上心とそのために努力し続ける力を持ち、最良の環境をも手に入れていることを再認識できたことは、今回の出展の大きな意義の一つであったように思います。
これからの我々に我々自身が期待しているように、皆様にもご期待いただきたいと思います。