東京ビッグサイトにて

一昨日から東京国際ブックフェアのデジタルパブリッシングフェア出展のため東京にいます。
色々ご報告をしたいと思うのですが、無精者の私は他力本願で。
ここ

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ここをお読みください。
社員のみんながお客様への対応に追われているというのに・・・。

トリノコサレヌヨウ

1ヶ月遅れの五月病だったのか6月は何だかシャンとしない月だった。別に体調が悪かった訳ではないのだが、やる気があまり起こらない月だったように感じる。そんな中でも借入・返済、各種支払、給与・賞与支給の手続き等間違ってはならない数字に関する仕事は淡々とこなさなければならない訳である。これがはっきり言ってつまらなかった。
でももう今は大丈夫。怖々巣立っていったつばめ達が元気で過ごすことを祈りつつ、私も東京国際ブックフェア出展のため明朝7:25東京へ飛び立つ。
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足元の一歩だけを見ながらこつこつ前進を続けてきたが、少し振り返ってみると「高精細印刷」「環境保護印刷」「システム開発」「自動組版」「ユニバーサルデザイン」「Liscio1」等様々なことに取り組み、ノウハウを積み重ねてきたではないか。今回我々としても自身の持つ資産を再確認しつつ、世の中の多くの方に知っていただき利用していただければという思いで、分不相応であるが東京ビッグサイトで昨年の倍の面積のブースを出すことにした。このど不景気な時だからこそ前を向いて挑戦をし続けていきたいと思う。
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おい、一羽取り残されてしまっているではないか。と言っても今頃元気よく巣立っているかもしれないが・・・。
今まで昨年のブックフェアも含めPAGEやIGAS等の展示会へ幾度と出展してきたが、今回で展示会への出展は一区切りつけようと思う。またネタを溜めて出展の機会に備えることにする。http://www.fromkobe.jp/昨日公開。
なぜちょいちょい「つばめ」が出てきたかは「鉄ヲタ」なら分かるはず。

Liscio1(リスシオ・ワン)

先日、Liscio1(リスシオ・ワン)の「商品開発会議」こと「美味いものをみんなで食おう会」を開きました。
出席者は革バカおやじ万年筆バカ(男性)・万年筆バカ(女性)文房具バカ、印刷屋のバカ社長、印刷屋のバカ社員の計6名。
手前味噌ですがLiscio1は本当に万年筆の書き味が素晴らしい紙です。
ペン先の滑りを滑らかなものにしようとすればインクの染み込み・乾きは悪くなる方向になりがちです。インクの染み込みをよくすると滲みやすく裏抜けが起こりやすくなりがちです。ペン先の滑りがよく、インクが早く乾き、滲まず裏抜けしないというのは例えようもないくらい難しいことです。
このあちらを立てればこちらが立たずのようなことを作り手に同時に達成せよという要求はイジメに近いものがありました。しかし我々は紙を作ることについては素人、無茶なことや馬鹿げたことを言っているという自覚が無いので、恥かしげもなく何度も要求を続けることができました。その結果研究系スタッフも製造系スタッフも皆さん本気になってくれとうとう素晴らしいレベルでバランスのとれた紙、奇跡のバランスと呼んでも過言ではないLiscio1という紙ができたのです。
さあ、素晴らしい紙ができたぞと喜んでいたら10数トンという紙が「で、次はどうしてくれるの?」と聞いてくるのです。紙もいつまでも倉庫で寝ていないで早くいい商品になって使ってもらいたいと思っているようです。
そこで文具に関して一家言お持ちの皆さんにお集まりいただき、商品開発の道を一緒に進ませていただこうと企んでいる訳です。
ま、第一回目ということで具体的な話というより今までの経緯と大きな方向性の確認ということに留まった感はありますが、肉・酒の美味さもありいい会になったと思います。今後より具体的な話に移り、世界に通用する商品をこのメンバーで生み出すことができれば素敵なことだと思いますし、可能だと信じています。
でもカウンターで飯食って、カウンターで酒飲んでたらやっぱり会議にはなりません。次回はテーブル席にして会議っぽくしたいものです。
この時間の中で皆さんの持つ「こだわり」、そしてそのこだわりに対する「愛情」に本当に刺激を受けました。私は気が散りやすい性格で「没頭する」「のめりこむ」ということが苦手ですので、羨ましくも思いましたし格好いいと憧れの気持ちも持ちました。
これから私はこういう方々の間に入って調整をしたり、人やモノのマッチングをして、その交流や情報交換の中からモノ作りをしていきたいと思っています。そこで私の個性を生かすことができればと思っています。
神戸から発信される情報やモノにご注目ください。

大連で・・・

先日大連に行ってきましたが、中国入国の際今まで(今回は私にとって10回目の大連行きでした。)では考えられないくらい時間がかかりました。
少し前に到着した別の便の検疫中だったため、それを終えた検疫官が機内に入ってくるまで随分時間が掛かりましたし、たった二人で機内全員の体温を測るものですから、検疫自体も時間が掛かりました。大連の空港は神戸空港を一回り大きくした感じ(と言っても神戸空港をご存知ない方にはピンときませんね。)のものなので、もう少し検疫官がいれば早く終わるのにと思いながら機外へ出ても入国審査に長蛇の列。
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今回の大連行きの目的は社員の結婚式に出席させてもらうというものでした。もちろん仕事も目的の一つではありましたが。
初めての中国の結婚式は日本のそれとは少し違いましたが、リラックスした雰囲気で、天候も場所も良く、出席者の明るさと新郎新婦の幸せそうな笑顔の中楽しい時間を過ごせました。
当日突然言われたのですが、完璧な中国語でのスピーチ(笑
「ウォー、シー、イーベンレン」「ウォー、ジャォ、ウープーチェンイェ」「コンシィ、コンシィ」
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(個人を特定できる写真は本人の承諾を得ていませんので、加工しました。)
そんな中自分が中国での結婚式に出席している不思議を感じ、色々な縁に感謝していました。
日本の若者よ、○人とか○歳とか、男性とか女性とか、○座とか○型とかで人を括ったりしないであらゆるものに予断を持たず色んな人に会え!
現在の国民の『最大の』関心事が企業からの政治献金についてだと言い切るリーダーの国なんかを一度出て色んなとこへ行け!
泣け!笑え!考えろ!感じろ!
日本人は40歳過ぎて本格的におっさんになると説教じみたことばかり言うようになるなぁ。そういえば今朝のさそり座の運勢は熱くなりすぎに注意だったか。ま、O型だから気にしませんけど。

神戸近況

あ、あれはつ○く♂、あれは松○菜々子、お、こっちはトータス○本、おいおいこっちにまた松○菜々子、あれは亡くなったはずの峰○徹、こっちも亡くなったはずの田中○栄。
これは夢ではありません。昨日久しぶりに三宮の街を歩いていたら、こんな方々とすれ違ったのです。
でも外すと全然似てないんだろうなぁ・・・。
人通りの少ないマスク街ではこんな楽しみくらいしかありません。
用心することはとても大切ですから、皆さん正しい知識を持って気を付けてください。
我々社員、家族を心配してくださる皆さん、今のところ大丈夫です。
ただ街の静けさには心が痛みます。早く事態が沈静化することを願うのみです。

41歳の春

喫煙を休止して6ヶ月が経った。
様々な変化が見られる。寝起きがいい。咳き込むこともなくなり、家族の煙たがる顔を見なくてもすむ。血管の収縮の関係なのか二日酔いの気持ち悪さがほとんどない。その代わり飲んでる時の酒の回りが大変早くなった。先日も風邪薬と一緒に飲んだのも良くなかったようで、どこかの大臣以上にろれつが回らなくなった。
店・乗り物では禁煙席の方が多いため、何かと都合がいい。禁煙席どころか、店内完全禁煙の店も少なくないので、行けなかった美味い店にも行けるようになった。これは大変結構なこと。しかし、最も顕著な変化は先述した全ての事柄からの延長線上にある体重の増加。これは大変。この6ヶ月で8kgも成長してしまった。
8kgも増えると歩くたびに膝がポクポク鳴るし、心臓はバクバク。これはマズい。大変マズいのだが食い物は総じて美味い。いやいや、これがマズい。
健康のためには減量、減量のためには喫煙再開?いやいや、それはない。
やっぱり運動をしなければならない。でも運動するにしても少し体重を落としてからにしないと良くないだろうと思っているので、一向に体重が落ちない現状では運動を始める訳にもいかない。
運動をしないから体重もなかなか落ちない。体重が落ちないから運動が始められない。
これは本当にマズい。いやいや食い物は美味い。体重を落とすためには喫煙再開?いや、だからそうじゃなくて運動。いやいや運動は体重が落ちてから・・・。
もう全く分からなくなってきたのだ。でもこれでいいのだ。いやいやこれではよくないのだ。賛成の反対なのだ。

5年

一昨日の晩飯何食ったっけ?
思い出せねぇや。
でも5年前の今日、2004年5月2日のことは顔に当たる風の感触もその匂いも覚えている。
早い。やっぱり早い。あれから5年。
少し前から私のPCのデスクトップには「伸也へ伝えること.doc」というファイルがある。一昨日の晩飯も忘れる男だから、何年先になるか分からないあの世での伸也との再会に備えて伝えることをメモしているのだ。
と言っても大したことは書いていない。何せ一行目は「あの年に無敗の三冠馬がデビューした」で、二行目は「あの中華料理屋の持ち帰り用の容器が変わった」だから。
でも、中国の大連に会社を立ち上げてみんなで一緒に頑張ってることや、長男・長女の大学入学についても書いている。最近では親父が死んだことや長男が就職したことについても書いている。
全てあの世から見えているのかもしれないが、もしかするとあちらで伝えてくれるのを待っているかもしれない。
そっか、もし私があちらへ行ったとき伝えられるのだとしたら、今まで書いてきたことは親父が伝えてくれるか・・・。
ま、どちらにしてもできるだけ多くの楽しいことを伝えることが出来るよう日々を充実させていくことにしよう。そして再会の日ができるだけ先になるよう。
それにしても仕事はやりにくくなった。
あの世からじいさん・親父・兄貴の三人に見張られていると思うと・・・。

あっという間の

気が付けば前回の更新から1ヶ月以上経っている。
「気が付けば」というのは嘘だな。心のどこかに長い間更新していないからそろそろ更新しなければという思いはあった。だから「気が付けば」は嘘。
「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」っていうフレーズを20歳前後の頃TVのCMで聞いて憧れていたけど、別に大統領のように働いていた訳ではない。王様のように遊んでいた訳でもないが。
この間親父の四十九日があったり、お客様に誉められたり叱られたり。大連に行ったり、大連から帰ってきたり。
他にも色々あったんだけど、何だかバタバタしてる間に桜が咲いて、散った。
やっぱり短くてももう少しマメに更新しないといけないな。自分でも何やって過ごしてきたか忘れてしまう。
何故かこれだけはハッキリ覚えている。
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やっぱりもう少しマメに更新しないといけない。この1ヶ月でハッキリ覚えているのがこれだけって・・・。

無いものねだりのケチ

大きな二重のパッチリした目とか、寡黙な渋さとか、目尻の深いしわとか、豊かな銀髪とか・・・。
とにかく私は無いものねだりをしてしまう。
という訳でパチもんの私はほんまもんを求めてしまう。ものとしてのほんまもんはもちろん好きなのだが、ほんまもんにこだわるほんまもんの人の方がさらに好きかもしれない。
親父もそうだったので、DNAに組み込まれているのかもしれないが私はケチと言われることが嫌いである。しかし人は自身に関して本当のことを言われるのを嫌う傾向があるそうなので、恐らく私は本質的にはケチなのだろう。
情報は発信するところに集まると考えているので、情報発信に関してはケチでないはずなのだが、よく考えると日常的によく行くお気に入りの中華料理店に関してはあまり人に教えない。やはりケチなのだ。
全国にチェーン展開しているオレンジ色の牛丼屋さんを私が美味いと書いても当たり前のことだし全国にたくさんの店があるので何の影響も無いが、20人ほどのキャパシティしかない隠れた名店のようなところになると、もしかするとなかなか入りにくくなってしまうかもしれない。だから教えない。いくらケチと罵られ挑発されても教えない。
ここも本当は教えたくない小さな名店だが、先日店主と話していると不景気で困るということだったし、ブログに書くことの許可も得たので少しだけ紹介しておこう。
偶然通りがかりに発見した神戸の二宮神社の近くにあるクリーニング屋さんなのだが、何せ素晴らしい。糊の利き具合といい出来上がりがとにかく素晴らしい。以前、私がその品質の高さに驚きの声をあげると、「真面目にやっていればこうなりますよ。」これまた素晴らしい。
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ケチな私がこっそりとお教えしよう。ここ。

あの頃のまま

私はタオルケットが好きで、冬でも毛布と体の間にはタオルケットが必要な体質である。そんな体質は医学的には認められないだろうが、私はそういう体質なのだ。
さらに幼いときからの習慣により、洗濯寸前のクタクタで少し湿度があり自分なりの柔らかい匂いがする状態を好んでいる。
洗濯直後の洗剤の香り、サラっとした肌触りは普通の人にとっては気持ちのよいものだろうが、私には心地よいものではない。それが新品になろうものならもっと違和感を持つのである。
先日何年も眠るときの私を心地よく包んでくれていたタオルケットにとうとう穴が開き、その役目を新品に譲らざるを得なくなった。
とは私の目線なのでタオルケットにとってはようやく御役御免だと安堵しているかもしれないが・・・。
という訳で最近の私は睡眠時間の割に疲れがとれていない。
路地の写真展か写真集を見たらしく、何事にも感化されやすい私の友人が路地の写真を撮るのにハマっているという。その話を聞いて私は生まれた頃に住んでいた灘区の光景を思い出し、小学校2年生まで歩き遊んでいた路地へ彼を連れて行った。舗装されてしまった部分もあったが概ねあの頃のままで、案内している間はとても懐かしく嬉しく興奮したひと時だった。
その頃住んでいた文化住宅の裏の路地に幼稚園児だった私が建てた墓標のことを思い出した。どこかの旅館でもらったインクの出なくなった青のボールペンに紙を貼り付けただけのものだったが、私が一所懸命作った墓標。
泣きながら別れを惜しんでいた私をからかってひらがなの「はか」の「は」に点をつけ「ばか」にした兄貴たち。とても悔しくさらに泣いたことを覚えている。
それは「タオルくんのばか」になってしまった。
そう、今から35年ほど前の私はタオルケットの墓を作っていたのだ。