誰かに「YES」と言われると「Fallin’ Love」と続けてしまうバカな私でも、さすがにもう飽きて「We Can」と続けるようになった。
海の向こうでは劇的なChangeが行われたにもかかわらず、同盟国であるはずのこの国は国民への金のバラ撒き方についていつまでももめている。全くバカバカしい。もらえるものはもらっておきたいのは人情だろうが、スッキリせずもめている上に消費税を上げる話とセットであれば、いらないあるいはもらっても使わないというのも人情だろう。
景気対策で我々中小企業に8,000万円を上限とする7年固定低金利の制度融資を行ってくれるのはありがたいが、それだけではこの事態をChangeさせることはできないだろう。もちろん我々も政府に頼りきるほど甘えてもいないが、もう少し根本からムードに弱い日本人をChangeさせるきっかけを作らなくてはならないのではないか?経済ばかりを勉強しているお偉い先生方が政府のブレーンとしているんじゃないの?
ChangeはChanceと言う人も多いが、わくわくするほどのChanceと思えるChangeに期待しつつ、自分達のできることからChangeしていこうと心の中で「YES, We Can」と言いながら誓っている。
タバコを休止して2週間。禁断症状からも解き放たれ清々しい日々を過ごしている。体重は72kgにChangeしてしまったが・・・。
気になること
私はTVのCMがあまり好きではありません。録画した番組を観るときはCMを早送りしてしまいます。
私は猫があまり好きではありません。犬は大好きなのですが、昔飼っていたセキセイインコを野良猫に食べられてから、好きではないどころか嫌いになってしまいました。
とても気になるTVCMがあります。
同じ家の中で時間帯によって特等席が変わり、そこへ猫が集まるというものです。
最後の月を見上げる猫の後姿のシーンには感動すら覚えてしまいます。
「窓」のCMです。
これを観て窓を買いに行こうと思う人はいないと思うのですが、窓の大切さを再認識させ、窓に対する意識を強める効果は絶大だと思います。
私はTVCMと猫をあまり好きではありません。
でもこのTVCMとそこへ出てくる猫は大好きです。
活動休止
サザンオールスターズが無期限の活動休止宣言をして私を悲しませたと思ったら、またまた悲しい休止宣言。
本日41歳になった。私の兄が急死したのは42歳になる2週間前。年齢の数字は追いついた訳だ。
本厄の年にはできる限り動かない方がいいと言われたが、今日から喫煙活動休止することにした。喫煙期間分を今後休止しようというものだから私の場合は約20年ということになる。正確な年数を書けば色々問題がありそうなので、約20年としておく。
この動きに同調した(無理強いされた?)T上・K崎・F井・T田・Y本・K本・三宮のおねえさん、共に頑張ろう!!
タバコと別れて約16時間、禁断症状で頭がボーっとしている。現在174cm70kgの私はどのように変化していくのだろう・・・。
野球
私は熱狂的ではないが阪神ファンである。阪神がサヨナラ勝ちしようものならチップと言って1,000円くれる親父がいるような家庭環境に育てばそうなるのも当然と言えよう。しかし、そんな家庭環境に育ちながらも長兄だけは読売ファンだった。と言っても彼は長嶋茂雄ファンだったようだが。
1985年、21年ぶりに阪神が優勝した日を思い出す。私はダイニングのTVの前で中西清起投手がピッチャーゴロを捕った瞬間、大喜び・大騒ぎしたのだが、リビングのTVの前にいた親父は声も出さず身動きもしない。しばらくしてゆっくり立ち上がった親父はサイドボードの中に飾ってあった一番高価なブランデーを開けゆっくりと口に含んだ。頬にはゆっくりと伝い落ちる一筋の涙。
私は小学校の頃からサッカーをやっていた。草野球の試合に誘われたのは大学生になってからで、19歳の誕生日に彼女のお母さんにグローブをプレゼントしてもらったくらい野球とは縁遠かった。できるポジションを聞かれたときにはどこもやったことが無いので、ピッチャーと答えピッチャーをさせてもらったが、それはひどいものだった。試合前にバッティングセンターに行ったり、暇を見つけてはキャッチボールをして何とかなるようになったが、今では10mも投げれば肩に激痛が走るほど野球未経験者の体に戻ってしまった。
高校野球は甲子園球場を満員にできるほど人気が高い。社会人野球は各企業のチアリーダーの応援が華やかで都市対抗野球大会も大いに盛り上がる。しかしその間にある大学野球はいまひとつ盛り上がりに欠ける。現在の東京六大学は祐ちゃんブームもありかなり人気があるようだが、私の学生時代の関西学生野球は平日の昼間によく試合が行われていたこともあり悲惨なものだった。
私の親友にエース、代打の切り札がいたため彼らの応援に日生球場・皇子山球場・西京極球場によく行った。春の陽気の中で行われる試合の日、スタンドで横になって寝ているじいさんと「にいちゃん、どことどこの試合?」「関関戦やで。」「ふ~ん。で、関関戦てどことどこ?」「関学と関大。」「ふ~ん。関大言うくらいやから、大学の試合やねんな。」というナイスな会話をしていると試合前の練習をしている彼らが私を見つける。これは大変容易いこと。スタンドの観客より両チームの選手の数の方が多いくらいなのである。私を見つけた彼らは私に向かってハンドルを回す仕草をする。私が肯くと次は拝むポーズ。帰りは彼らに試合の感想を聞きながら車に乗せて帰ることになるのである。
因みにその時代の関西学生野球には古田敦也、杉浦正則、長谷川滋利、酒井光次郎等の名選手がいたが、その存在は大変地味であった。
私が大学3回生の時に大物新人が入学してきた。練習を見ているだけでも走攻守とも他の選手とレベルが違うことは素人の私の目にも明らかだった。草野球を始めたばかりの私が無謀にも彼にバッティングを教えてくれるよう頼むと彼は嫌な顔をせず「相手投手の一番早い玉が内角高めにくることを想定して構え、それでも外角低めにスライダーがきてもとらえられるよう下半身にタメを作って・・・。」と一所懸命身振り手振り教えてくれる。草野球を始めたばかりのド素人の私には全く役立たなかったが・・・。その私のバッティングコーチは現役メジャーリーガー田口壮選手である。
それから数年経って私が東京へ出張した際、新幹線を降りると同じブレザーを着た大男の集団がいた。その中に阪神からオリックスへ移籍した岡田彰布選手の姿を見つけた調子者の私は「岡田さんがオリックスへ移籍されたので私も阪神ファンからオリックスファンになったのですよ。」と声を掛け握手をしてもらった。さらに「私は田口君と同じ大学で彼の2学年上なのですが、田口君は同じ新幹線じゃないのですか?」と聞くと岡田選手は「同じ新幹線だったからもうすぐ来るはず。」と言って階段の下で一緒に田口選手が来るのを待ってくれた。「ほら来た。」と言って田口選手の姿を確認してから出口へ向かって行った岡田選手の優しさに感動した。
階段を降りてきた田口選手は私のことを覚えていてくれて出口までのしばらくの間元エースや元代打の切り札の近況などを話しながら一緒に歩いた。「千葉マリンスタジアムでの試合なんでこちらからみんなと一緒に出ます。」「じゃ、頑張って優勝してな!」と言って別れようとした時、田口選手の横をずっと歩いていた男に初めて目が行った。よく見るとそれはイチロー選手だった。「おい、イチローやないか!」という私に彼は涼しい顔で「そうですよ。じゃ、出口こっちなんで。」「おい、お前は毎日一緒かもしれんけど・・・。」私はしばらくイチロー選手とも並んで歩いてたのか・・・。田口選手はニッコリ笑ってバスへ向かった。
あれから10数年が経った。田口選手もイチロー選手も現役メジャーリーガー。
私はシンガポールに住んでいる元代打の切り札が帰国する度に元エースと一緒に飲んでいる。彼らと野球の話をすることはほとんどない。次の機会には野球の話でもしてみるか・・・。
岡田監督退任の報に触れ野球のことを色々思い出してみた。
フィクション
ある会社が不祥事を起こし、その会社の役員に対して被害者の弁護人が質問を行った。
その会社は金融機関であり、その不祥事の内容というのは預金者の積立の記録を無くしたり改ざんし、また運用をずさんに行った上、社員の遊興費等に充てたりしていた等とんでもないもの。
「不正を行った社員を告発しないのか?」
「証拠が無いのでできない。」(担当役員)
「いつまでに正しい記録に戻す作業を終えるのか?」
「初めて行う作業なので分からない。」(担当役員)
「代表取締役からいつまでに行えと指示を出さないのか?」
「担当役員に任せている。」(代表取締役)
「現在行っている方法には様々な欠陥があると思うが、どう考えている?」
「私が就任するよりずっと以前から行われてきたことの尻拭いを一所懸命やっているじゃないか!」(担当役員)
「代表取締役はどう考える?」
「長い間悪事を働き続けた上、担当者も退職したり子会社等に転籍したり、担当役員も代表取締役もその間コロコロ代わったのでそんなに簡単にいくはずがない!」(代表取締役)
何故かこんなやりとりが頭に浮かんだ。
何故だろう、何故だろう・・・。
初めての製紙工場
先日お伝えしました通り弊社は創業60周年を迎えました。その間印刷前工程は活版からコンピュータへ。印刷機も活版印刷機からオフセット印刷機、そのオフセット印刷機も最新の機械への更新も行ってきました。しかしこの間変わらず印刷に使用してきたものの中に当然ですが紙があります。
その紙がどのようにして作られているかは何となくは知っていましたが、一昨日初めて静岡県にある製紙工場を訪れ、実際に紙作りの工程を見てきました。
これは工場見学が目的ではなく、今回特注で作ってもらうことになった万年筆の筆記に適した紙のテスト抄造に立ち会うためです。印刷業界で言うと出張校正にあたるものですね。
歴史を感じさせる正門。
工場内に入るにはヘルメットを装着。ヘルメットの中に髪の毛が落ちないようにネットを被りました。
残念ながら工場内の撮影は許されませんでしたが、私より少し年上の抄造機の迫力に圧倒されました。特殊紙を専門とするその機械は抄造機の中では極めて小規模のものだそうですが、それでも日産量は15t。大きいものだと1,000tくらいだそうですから確かに小さな機械です。でも15tですから紙を特注するということがいかに大変なことであるかあらためて思い知らされました。
抄造機は豪快な動きをしますが、紙の出来映えは大変細かい要素に左右されます。広葉樹パルプ・針葉樹パルプ・非木材系パルプの配合割合、表面に塗工(化粧)するものの選択、抄造時のローラー圧力等により紙の風合は大きく変わります。
できたての紙に万年筆で書いて書き味を試したり、インクのにじみ具合を確認したりして感想・要望を伝えます。30分程すると少し味付けの違った紙が出てきて、それに対しても同じように意見交換を行いました。
結局原材料を少し変えなくてはならないことになり、(原材料を変えるということは機械全体から一度原材料を全て抜き取らなくてはなりませんので、大変時間が掛かります)今回は残念ながらOKを出すところまでには至りませんでしたが、紙造りの職人達が本気になってくれましたので大いに手応えを感じました。
どんな紙が出来上がるかお楽しみに!
そろそろ紙の名前を考えなくてはなりません。特注ですから命名もさせてもらえるのです。
ありがとうございます。
本日、弊社は創業60周年を迎えることができました。
お客様の皆様、協力会社の皆様、先輩社員の皆様をはじめお支えいただきました多くの皆様に心よりお礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
本来でしたら祝宴等を催し皆様へ感謝の気持ちをお伝えすべきところですが、本業に邁進し良い商品・サービスの提供に努めることこそが皆様へのご恩返しであると信じ、社員一丸となって新しい時代を創造していくことに全力を傾けたいと思っております。ご理解をいただき今後ともご支援、ご愛顧を賜りますよう、お願い申し上げます。
イキる
大変幼稚なのですが、私は「イキってるなぁ」という言葉をよく使います。
これは本当にイキってるなぁと思います。
これ、何だか分かりますか?
実はこれシャツの襟芯なのです。私が普段着ているシャツにはプラスティック製の襟芯が入っているのですが、そこへこのシルバー製のものを入れると襟元がピシっとするのです。
クリーニングでガンガンに糊を効かされるより、こちらの方が心地良いです。
私が無知だっただけかもしれませんが、これを見つけた時には本当に驚きました。
それにしても全く見えないところにシルバーのこれを入れてるなんてイキってますよねぇ。
幸せ
先週の今頃、前夜に起こったことについて久しぶりにブログを更新しようと書きかけたのだが、あまりにも口汚く罵ってしまったので、更新を見送った。
しかし一週間経っても怒りは収まらない。いや、すっかり次の総裁選をチャラチャラ盛り上げている現状に怒りはさらに込み上げる。
で、結局先週書きかけたことを公開してしまう。ブログはその瞬間の想いをそのまま記した方がいいとも思い・・・。
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いったいどうなっているんだ。
内閣を改造して1ヶ月。臨時国会の会期を決めるだのなんだの。
表には出てこない理由が色々あるのだろうけど、いくらなんでもひどすぎるじゃないか。
どうせ辞めるんだったら全部言ってしまえと言いたくなる。ネジレ・レンリツなんて就任当初から既に始まっていたこと。やる気が無かったのに周りに押し出されたのかもしれないが、立候補したんやろ!「自分を客観的に見れる」はぁ?
結局劇場型の風が起こした負の遺産が延々続いてしまっている。
我々は様々なものの値上がり、原材料のインフレ・製品のデフレに対して必死で日々戦っているんだ。お前らの都合で将来を暗くされてたまるか!
国民の審判を経たリーダーにそうされるのだったら諦めもつく。さっさと解散総選挙をして投票させやがれ!罪悪感はないのか!
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あ~スッキリした。
冷静になって考えると本当にいい時代に生まれたもんだ。1年の間に総理大臣が2人も突然辞めるなんてなかなかないことだろうからね。それを見れたなんて本当に幸せだ。いやぁ、本当にこの国に生まれてよかった。この時代に生かされていて幸せだ。よかったよかった。
将来
一週間ほど前の新聞に『「親族外承継」広がる』という見出しの記事があった。事業承継をスムーズに行えるよう中小企業経営承継円滑化法が成立したにもかかわらず。
様々な理由があるだろうが、基本的には親族に継がせたくない、親族が継ぎたくない、継がせる親族がいないというものに集約される。もちろん大切なことは「継がせたくない」、「継ぎたくない」の理由である。親族にこんなにしんどいことをさせたくないと思っているのか、あんなにしんどそうなことはしたくないと思っているのか。
それにしても大企業でも将来どうなるか分からないし、親方日の丸も今や・・・。中小企業も悪くないと思うがなぁ。
親族に頼るくらいなら社内から後継者をという考え方には大いに賛成だが、後継者が決まらず廃業するところもあるというのは大問題である。
重責を親族外に委ねるのは申し訳ないという思いもあるはずなのに、それでも親族外承継が広がるのはやはり長引く景気の低迷に加え原材料費の高騰があるのだろう。原材料のインフレ・製品のデフレ傾向は製造業には大打撃である。政治に頼るつもりはないが、大胆な政策転換や政権交代がないとあらゆる面で日本は空洞化していくのではないだろうか。
経営者が堂々と事業を承継させたいと思え、親族であろうがなかろうが承継したいと思える会社にしなければならないことは間違いないだろう。誰にとっても魅力のある会社にしなければならないと強く思う。
確かに経営者には大変大きな責任と重圧があるのは間違いないが、その分やりがいや達成感が大きいのも事実。中小企業の社長ってのも悪くないと思うがなぁ。
先日別の新聞にあるトラック運転手に関する記事があった。見出しに「命削る運転手」という過激な文字があったが、その通り過酷な労働環境について書かれたものであった。その中でもその運転手の言葉が重い。
「(労働基準に関する)違反なしじゃ、食っていかれん。」
もちろん肯定できるものではないが、現実の厳しさを物語っている。
子どもの将来についての言葉がさらに重い。
「好きな仕事をやればいい。でもトラック乗りだけはダメだ。」
子どもに対して自分の仕事だけを否定しなければならないことは、あまりにも辛い現実だ。