13年。当時数少ない通行可能な道路も渋滞と呼べるような生半可なものではない混雑。7時間かかる出勤。7時間かかる帰宅。もちろん三宮の街に立ち寄ってのものではない。現在は30分で出勤できるも帰宅にはやはり7時間(?)。
味わいは無くなってしまったが新しく生まれ変わった街に復興を確信させられる。しかし同時に自治体の借入金の記事に完全復興とは言い切れないものを感じさせられてしまう。
やけに多く感じられる神戸ナンバー117。この日が命日になってしまった多くの人のことをこのナンバーの車とすれ違うたびに思う。
「福倖酒」を作っていた神戸の酒造会社が残念ながら江戸時代から続く歴史に幕を下ろすことになったが、新潟の酒造会社がこれを引き継いでいるらしい。
あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。
昨年は守ることの難しさも攻めることの難しさも思い知らされた一年だったように思います。
今年はその経験を活かして着実に前進したいと心を新たにしています。
今年の9月に弊社は創業60周年を迎えます。人間で言えば還暦になります。還暦に赤い物が贈られるのは赤ちゃんに還るという意味もあるそうです。我々も初心に返り、社会に役立てる会社であるよう社員一同精一杯頑張ります。
皆様のご指導ご鞭撻衷心よりお願いいたします。
自画自賛
作って売ってる側の私が言うのも何なのですが、不思議なことに5,250円のノートが順調に売れています。1冊5,250円もするのですよ。たかがノートが。
されどこのノートやはり素晴らしい。
まずは紙。バガスP70という紙は生産が中止されてしまいましたので、このノートのために在庫を全て買い占めました。でもできたのはたったの200冊。この紙はサトウキビの搾りかすからできたもので非木材紙としてエコロジーの観点からも良いと思うのですが、何よりもペン先の滑り具合が心地良いのです。
次に印刷。ただの罫線を印刷しただけなのですが、活版印刷を選択しました。オフセット印刷ではダメな訳ではなく、隠し味的に活版で印刷しました。どこが違うかと言うと平版には無い「押し」があります。つまり微妙に紙に凹凸ができます。この凹凸がいいという訳ではありませんので、やはり隠し味と言えるでしょうね。
最後は製本。これは神戸の一級の職人がこだわりぬいて作り上げました。日記としても使用してもらえるようにページ数は365ページ以上(実際は398ページ)として考え、丈夫で品のある上製本を目指しました。しかしその厚さでは開き具合が悪くなりがちです。そこは流石一級の職人の技。見事に開き具合の良い仕上がりとなっています。
「ほんまもん」を愛する方に是非手にしていただきたいと思います。
我々にとっても「ものづくりへのこだわり」を再勉強するいい機会になったと思っています。
こりゃ自画自賛だけでなく宣伝でもあるな・・・。
偽装できず
先ほどNHKの放送をご覧になりました?
恥ずかしかったのですが、社員と一緒に見ました。
いやぁ本当に照れましたが、内容がよく伝わる編集でしたので嬉しいです。
さすがNHKですね。しかしあれだけ髪を多く見えるようにしてくれと言ったのに・・・。
いよいよ本日楽天サイトのオープンです。
http://event.rakuten.co.jp/campaign/kobe/
http://www.rakuten.co.jp/fromkobe/index.html
まいどあり!
ご無沙汰しています
もともとどっかの革バカおやじみたいにマメに更新していた訳ではありませんが、こんなに間が空いたのは初めてだと思います。この間何人もの方に「最近ブログを更新してませんねぇ」と言われていましたので、何か書かなければと思いつつ忙しさにかまけて更新を怠っていました。
でも大統領でもあるまいし、ブログを書けないほど忙しかった訳ではありません。書く気になれない日々だったのです。色々と・・・。
で、今日は久しぶりに書く気になりましたので、二つのことを書きたいと思います。
まず、先週大連に行ってきたことです。今回はようやく念願叶ってビザが発給された大連の社員と共に日本へ帰ってきました。彼女は日本で技術を習得すべく現在弊社で研修を受けています。その熱心な姿勢や技術力・日本語会話力向上の速度には驚かされ、逆に我々が学ぶべきものが多いと思うくらいです。
次に先日NHK神戸の取材を受けたことです。これは神戸セレクションに関する取材で12/11(火)の18:10から神戸・大阪辺りで放送される予定です。本当は皆さん見てくださいと言いたいところですが、柄にもなく緊張してしまいましたので、とても恥ずかしいです。でも打ち合わせもあまりなく一発撮りでしたので、本当に大変でした。と言い訳させていただきます。
久しぶりだと調子が出ねぇなぁ・・・。
不惑
ようやく40歳になった。
年齢の欄に「38」と書くようになった頃から中途半端な気がして嫌な感じだったが、今日から気持ちよく「40」と書ける。本当に嬉しい限りだ。
20歳くらいの頃40歳の人といえば大人でしっかりした人という印象だったが、いざ自分がその歳になってみると全然大人じゃないじゃないか。困ったことだ。
現在の日本人男性の平均寿命は79歳ということだから、まさに今折り返し地点辺り。しかしいい加減な生活をしている私の余命はそこまで長くはないだろうから、これからの人生の方が短いと思っておいた方がいいだろう。
私はストレスを感じて5年間に100回以上のゴルフ接待を受けたことはないし、突如体調を崩して職を投げ出したことも無い。しかし、「この野郎!」「何も知らんくせに!」「寝惚けたこと言ってんじゃねぇぞ!」「今に見ていろ!」と思うことはしばしば。この立場になった3年間だけで・・・。それをストレスと言うならば、私にはストレスが山盛り。でもそれがマイナスになるどころか、仕事をする上での大きなモチベーションになっている。特に今、やりたいこととやるべきことが重なりつつあるので非常に充実している。
「四十にして惑わず」
今日からは惑わず信じた道をひたすら前進しようと決意したのだが、この「四十」は数え年の40を指すらしい。「ずるっ」と音がしそうな肩透かし。
しかし今日、方法については迷いながらでも、本質的に正しいこと良いことに惑わず取り組んでいくことをあらためて決意する。
これじゃダメだ
先日長男(中学3年生)の文化発表会(文化祭のようなもの)を観に行ってきた。合唱や英語劇等があったのだが、それぞれ素晴らしく中学生の頑張りに胸が熱くなった。なかでも吹奏楽部の演奏は素晴らしく、トロンボーンやクラリネット等のソロが終わると涙がこぼれそうになった。一所懸命練習して、この舞台で上手に演奏している姿に感動してしまった。私の息子はサッカー部でその舞台にはいなかったが・・・。
涙腺がゆるゆるな私は感動に浸りながら一人自宅へ向かって歩いていた。角を曲がった時、その中学校の制服を着た5人くらいの男子中学生が前を歩いていた。その瞬間私に気が付いたのか一人がタバコを溝に投げ捨てたのだ。私はとっさに
「こらっ、ちょっと待て!こっち来い!」
と言ってしまった。脳裏に「最近のガキは加減を知らんから5人がかりでやられるかも・・・」とよぎったが、もう遅い。ヤバくなったら恥も外聞もかなぐり捨てて助けを求めて叫んでやろうと思っていたが、こっちへ来たのはタバコを捨てた一人だけ。しかも私より小柄。
「お前今タバコを捨てたやろ!拾え!」
と言うと、素直に溝に降りタバコを拾ってきた。拍子抜けした私は持っていた携帯用灰皿に吸殻を入れさせ、
「お前何年生や?」
「3年です。」
です?え?ますます拍子抜けしてしまった私はとりあえず名前を聞いたのだが、その後に言ったことは「タバコはポイ捨てするな。」と「制服着て堂々と外で吸うな。」「中学生はまだ早い。背が伸びひんぞ。」って・・・。何言ってるんやろうなぁ・・・。
「お前ピアスしとんのか。生意気なガキやなぁ。勉強せぇとは言わんけど、悪いことばっかりしとらんとマトモなことせぇよ。」
とばつが悪そうにしている彼と少し話しながら歩いていた。すると、
「友達のところに遊びに行くので、こっちへ行きます。さようなら。」
と言って彼は角を曲がって行った。さようなら?
ますますよく分からなくなってしまった。
警察へ突き出して補導してもらうべきだったのだろうかと悩みつつ、呑気に昼寝した土曜日の午後。
非
最終ラウンドの終了ゴングが鳴ると、お互いの健闘を讃え合い抱き合って握手する両選手。勝者が告げられると敗者である挑戦者が今までの非礼を詫びるため深々とそして長々と頭を下げる。試合後の会見では謝罪の言葉と共に勝者を讃え、さらに自分の未熟さ非力さを謙虚に認める。そして同様の態度の父と兄。
「こんな奴負けてまえ!」と思っていた私は、それを見てそんな思いを恥じ、この青年の成長とリターンマッチによる王座奪取を見たいと思うようになった。素晴らしい試合を見ることができて本当に幸せだ。
・・・。
攻守
先日の所信表明演説や代表質問を聞いていて、以前ある方から言われた言葉をあらためて思い出した。
金融機関の支店長が2,3年で交代することの理由についてである。
長く同じところに留まると不正を行いやすいことも理由の一つであるが、それ以外に交代する人物のタイプの違いにも理由があるというのだ。それは簡単に言うと「攻め」の次は「守り」ということ。
つまり、イケイケタイプの支店長がドンドン融資先を開拓した後、慎重派支店長がそれを精査するというのである。もちろん全金融機関がそうではないだろうし、現在は違う考え方に基づいているのかもしれないが、要は攻めるばかりは危険だし、守りばかりでは発展がないということ。
それを当社に置き換えて説明してくれた。つまり創業者である私の祖父はイケイケタイプ。もちろんそうでなければ会社を興すことはできない。そして二代目である私の父はしっかり守り抜いて会社を軌道に乗せた。では三代目(正しくは四代目だが世代としては三世代目)の私はどうあるべきか?その方がおっしゃるには兄がアクセルを踏み過ぎれば弟がブレーキを、弟がアクセルを踏み過ぎれば兄がブレーキをとうまくバランスがとれていた。それを今は一人でやらなければならないので注意深くするように。どちらを踏み過ぎても会社はうまくいかない。
なるほど。私はこの言葉を深く胸に刻んでいる。
何故先日の所信表明演説等でこのことをあらためて思い出したのかは分からない。
今の内閣が「攻め」とも「守り」とも、あるいはバランスがとれているとも思わないのに。
のらりくらりしているだけの「かわし」内閣はほとぼりが冷めるのを待っているのだろうか。我々国民もバカにされたもんだ。
同窓会
先日関西学院中学部の合同同窓会があり出席してきた。
1回生から50回生くらいまでが大阪に集まりなかなかの盛会だった。
ただ男子校なのでおっさんばかりで華がなかったのは寂しかったが・・・。
受付で確認すると我々34回生の出席者は20人ほどとなっており、その少なさに落胆したのだが前後の学年に比べるとかなり多い方であることも分かり少し複雑な気分。因みに1学年は約180名なので、出席率は10%を少し超えたくらい。
私がメガネを掛け始めたのは数年前のことであるし、体重が15kg程増え逆に頭髪は減っているので随分変わったと思っていたのだが、20数年ぶりに会う同窓生からは「お前変わらんなぁ」と。不思議。
で、恩師に会うのも20数年ぶり、当然忘れられてると思っていたが挨拶をすると「おう、武部!」と声を掛けていただいた。「覚えておいていただけましたか」と言う私に「お前みたいに何べんも呼び出した奴はなかなかおらへんから忘れるはずないやろ」と言われてしまい、恥ずかしいやら嬉しいやら。「お前1年生のときにバイクを盗んで警察に捕まったやろ」と言われたが、無免許で捕まったのは高校生になってからのことという記憶はぼんやりあったので、それは俺じゃないような気がするなぁと思っていたら優等生のT君が「それは別の奴です」と私の冤罪を晴らしてくれた。さすが優等生、素晴らしい記憶力。
我々の世代は子ども達がちょうど中学入学を控えている者が多く、あちらこちらで先生を捕まえ自分の子ども達を入学させたらよろしくとアピール。自分が通ってた学校に自分の子どもを通わせたいと思えることは素晴らしいとあらためて思った。
会が終わってから15人ほどで場所を変えて二次会。昔話や近況を話し合ってとても楽しい時間を過ごした。その中で何回も私の悪事を話題にされたが、中には自分では忘れていることも多くあり自分がとんでもない奴だったと再認識させられてしまった。ま、私自身の中では全て時効だと思っているが・・・。
あっという間の2時間は久しぶりに涙を流すくらい笑えた最高に楽しい時間だった。
先日同窓生のメイリングリストを開設して少しずつメンバーを増やしているが、海外で活躍中の奴も多く、この道具の便利さをあらためて感じる。
みんなの頑張りが勇気を与えてくれる。いいもんだなぁ。