2004年7月1日厚生労働省が各都道府県知事宛に非医療従事者による自動体外式除細動器(AED)の使用を認めると通知した。たまたま兄が急死した2ヵ月後のこと。
昨日の新聞記事に大阪府の私立高校で行われた野球の試合で投手の高校生が打球を左胸に受け一時心肺停止状態になったが、観戦に来ていた救命救急士が学校に備え付けられてあったAEDを使用し蘇生させ、彼は一命を取り留めたとあった。そのAEDは最近同校の卒業生から寄付されたものらしいから彼は非常に幸運だったと言えると思う。
日本では毎日100人近くが心疾患による突然死で亡くなっており、その多くが心室細動によるものだそうだ。
日本循環器学会と日本心臓財団は現在AEDの普及に取り組んでいて、そのキャッチフレーズは「あなたは、愛する人を救えますか?」。
あれから3年。AEDの普及に何か力になれるよう取り組んでいきたい。
身近に起こったことからしか行動に移せないことを恥じるが、そのことを反省し少しでも人のためになり価値ある人生にしなければと思いを新たにしていこう。
兄貴のいない4年目が始まる。
スクープ
デジカメのデータを整理していたら、先日撮影したスクープ画像を発見した。
子どもの頃から雲は一体どこで作られているのだろうと思っていたが、とうとうその製造工場を発見した。
これは奇跡の大スクープ画像なので、他言は無用。と言いながらここで公開する私は何なのだろう。
トラックのすぐ左に写る遠くの工場が地球に雲を供給し続ける工場だ!
しかし物騒な事件が多い昨今、こんな呑気なこと書いてていいのだろうか・・・。
あま~い2
今日で一連の作業も終了!ってことで最終日の今日の昼食も例のところへ行ってきました。
今日は昨夜の酒が少し残っていましたので、大辛ラーメンだけにしました。オーダーすると不敵な笑みを浮かべるオヤジ。しばらく待って出てきたラーメンは先日より少し赤さが増しているような気が・・・。丼に顔を近付けると目がしみるではありませんか。その時オヤジの一言。「MAXやで。」これで私の闘志に火が点きました。
箸を伸ばそうとすると美人のおかみさんの一言。「無理しないでくださいね。」この一言に私の闘志の炎は一段と大きくなりました。
麺に絡み付く赤いものがよくお分かりになるでしょう。これは確かに難敵です。一口ずつスープを飲んだ社員達は一様に汗をかき「からっ!」の一言。しかし食べ進むにつれ辛さより美味さが増し、病み付きになりそうでした。
当然途中一滴も水を飲まず、こんな風にしてやりました。
この丼をオヤジに見せると「よぉやるわ。」と。勝ったな!
「ごちそうさま。」と涼しい顔で店を出ると開いてる窓からオヤジの声が。「こんな辛いもん作ったん初めてや。」万歳しながら気分よく午後の作業に向かったのでした。
作業が終わり夕方会社に戻ってくると社内一いじわるな男がニヤニヤしながら「社長にプレゼントです。」
一口舐めてみると確かに舌がピリピリするもののそれほどでもないなぁという感じ。同じように一口舐めた社員がのたうちまわるのを不思議な気持ちで見てた私はおかしいのでしょうか?ほどほどにしないといけませんね。
ピリリと辛い一週間が終わりました。
あま~い
これはチキンライスではありません。
これはトマトラーメンではありません。
今週お客様のところで封入作業をさせていただいているのですが、楽しみと言えば昼飯。毎日六甲アイランドでコンビニ弁当を食っている私にとっては歩いて色々なものが食えるのは嬉しい限り。で、昨日近くの中華料理屋に行ったのですが、約1年ぶりの私を覚えてくれていた美人のおかみさん。昨日『激辛とろみチャンポンメン』を食った私に「辛かったでしょ?」という優しい言葉。私の「僕に言わせれば甘口ですよ」という言葉にいかつい系のご主人が「明日も来い。ひぃ吹かせてやる。(火を吹かせてあげる)」と。
で、今日大辛ラーメンとピリピリライスになったのでした。
普段より辛くしたに違いないその二つは確かに辛かったのですが、大変美味しくこのように完食させていただきました。
帰り際「あ~甘かった」の私の言葉に「今日はこれくらいにしといたろ!」のご主人の言葉はナイス。楽しい昼食でした。
嘘ではありません
本当はもう少し引っ張ろうと思っていましたが、今日来社された方にも「JAGUARいいですね!何年式のどのモデルですか?」と聞かれてしまったし、革バカおやじにもコメントを付けられてしまいましたので、私の息子の愛車JAGUARの写真をお見せしましょう。
です。
4月1日ではありませんから嘘はつきません。本当でしょ?
ドライブとも書いていないし、自転車にもハンドルはあるでしょ?
因みに修理してくれたのはカインズホーム神戸垂水店。本当に親切でしたよ。
これがオチでした。失礼しました。
JAGUAR
一昨年ある方からJAGUARを1台いただいた。ご子息のために購入されたようだが、ご子息がお気に召さなかったようで、ほぼ新車の状態でいただいた。とんでもなくありがたい話だ。私も休日には時々乗っており、その乗り心地は大変素晴らしく、あてもなくウロウロすることが嫌いな私でも天気のいい日は行く先を決めずJAGUARのハンドルを握ることもしばしば。一応私の息子のものということになっているので彼の了解を取らなければならないが、彼がサッカー部の練習に行っている時などこっそり無断で乗ったりもする。昨日もそうだった・・・。
ところが数ヶ月前ブレーキに故障が見付かり走行不能になった。近くの修理工場に持って行ったのだが、外車であることや修理した実績もないし部品もないということで大変消極的な対応。しかし、ブレーキの故障という致命的なものだったので無理矢理JAGUARを置き去りにして修理を依頼してきた。翌週連絡がありやはり部品の調達が難しいという消極的な回答。だが継続して他の部品で代用できるか等検討してみるとも言ってくれた。それからまた一週間くらいが経ち、修理の上手な職人を見付けることができ修理が完了したとの連絡があった。喜び勇んで引き取りに行くと完璧に直ったJAGUARがいた。色々手配をしてくれた若い男性社員に心からの謝意を伝えると、彼は照れくさそうな表情でおもむろに請求書を私に手渡した。その金額を見て私は腰を抜かしそうになった。なんとその金額は500円だったのだ。調整だけで済んだから工賃の500円だけでいいと言うのである。
困り果てていた私を助けてくれたのに当たり前の仕事をしただけという表情の彼に惚れ、今後ここ以外利用しないことを心に誓った。
当社の社員よ、お客様にこのように思ってもらえるようになろうよ!営業部員のみならず作り手も自分が関わらせてもらっている仕事に感謝し、お客様に役立つモノ作りを常に意識していこうではないか。社員一人ひとりが会社を代表しているという意識を強く持とう!
涙
先日の受賞の話以外最近ネガティヴなことばかり書いている気がするが、決して気持ちがネガティヴになっている訳ではない。むしろ仕事に対してはポジティヴな気持ちを持ち続けている。そこで今回は涙について書いてみよう。と書けばやっぱりネガティヴに感じられてしまうかもしれないが、やっぱりポジティヴなのだ。
最近特にそうだがもともと私の涙腺は緩いようで、学生時代「南極物語」を観た時には号泣した記憶がある。そんな私もさすがに会社で涙を流したのは数回に限られる。
今から10数年前、あるおそろしいスケジュール・量の仕事をしていた時の事だった。最終的に早朝5:00くらいから印刷しなければ間に合わなくなり、前夜に翌朝5:00の出社を口の悪い印刷職人に依頼していた。ところが翌朝私がコンピュータの前で奮闘していた4:00頃「頑張っとるかぁ。」の声と共にその職人が元気よく入ってきた。その声は徹夜続きで疲労困憊の私の心身に響き、涙が流れた。
今から約10年前、当時外注に依存していたモノクロの仕事がカラー化する際、内製化するよう兄貴に指示された。そのための設備も人員も不足していたため当時制作現場を任されていた私は拒否したのだが、その仕事を担当している当社の営業マン・その仕事を一緒にしたいと企む他の外注先の営業マンの2人が私に懇願してきた。体制が整っていないため現行体制の維持を主張したが、最終的には兄貴に無理矢理押し付けられた形になった。その会議終了後2階へ降りる階段で悔し涙を流しながら壁に拳で穴を開けてしまったが、結果的にはその仕事により多くのノウハウが身に付き、無形の財産を手に入れることになった。
これもまた約10年前、3月の繁忙期に無理矢理押し込んだ仕事について製本屋の若旦那から帰る間際の夜に電話があった。私が手配した仕事の印刷部数が全く足りないと言うのだ。納期まで日が無いのでその晩仕事してもらわなければならないのに・・・。間違いはないと思ったが念のために調べに行った。すると確かに部数が足りない。途方にくれ会社へ戻ると無人のはずの印刷工場に電気が点いている。扉を開けると帰り支度を終えた前述の口の悪い印刷職人と当時の工場長が私の帰りを待っていてくれた。事情を説明すると「よっしゃ」の一声で作業着に着替え直し、綺麗に後片付けの済んだ印刷機に再びインキを入れ、その時間から刷り足してくれた。2人に詫びると、「こんだけたくさんの仕事の段取りして、失敗が1個だけなんてさすがや。俺にはできひんわ。」という言葉。これには泣かされた。
今から2年10ヶ月前兄貴が突然死んだ。それはとてつもなく悲しい出来事だったが、会社では当然泣いていられない。それどころか、全く手を付けたことが無い仕事が山積しており、感情なんて全て置き去りにして仕事をしていた。特に会社の経理関係については近寄ったことすら無かったので、会計ソフトにログインすることも大変だった。会社にとって金は血液に近いものがあり、決してその流れを滞らせる訳にはいかない。入るものも出るものも正確性が最も要求されることも言うまでもない。出入りする銀行マンや経理に明るい友人の教えを受け、過去のデータを参照しながら何とか業務に慣れてきた頃、銀行から送られてきた当座勘定照合表と会計ソフトの合計金額が少し合わない。不一致の項目を調べると、それは生命保険料だった。毎月決まった金額が口座から振り替えられるものについて兄貴はその年度末まで前もって入力していたのだ。借入金の返済や機械のリース料等のデータは正確に入力されていた。しかし、会社で掛けている生命保険の兄貴の分だけ掛金が落ちなくなっていたので金額に誤差が生じたのである。そのデータを直しながら不意に涙が止まらなくなった。それまで兄貴が書いた手書きの資料を見ながら仕事をしているときにも寂しさは感じていたが涙は出なかった。なのに、パソコンの画面にある無機的なデジタルの数字に涙が止まらなくなったのだ。兄貴が入力した生命保険料の数字を私が直さなくてはならない事実が油断していた私の心の中にいきなり入ってきた。
3日前、中国の大連に出張していた時のこと。中国ではその週末まで春節だったので、現地の社員と新年会を行った。その際現地を任せている中国人の総経理(GM)が社員に熱弁をふるい始めた。それは10分にも15分にも及び彼女のテンションはとても高かった。熱心に聞いている社員を見渡すと何人かが涙をこぼしている。気が付けば私にも涙があふれてきた。隣を見ると同行していた日本人社員も涙を流している。それほど感動的なスピーチだったのだ。しかしそれは当然中国語のもので、私にも同行していた日本人社員にも全く理解できないものだった。なのに涙が出た。何故だったのか今でも分からないが、言葉ではない何かが私達に涙を流させたのだろう。不思議な体験だった。
ここまで書いて非常にポジティヴな気持ちになれた。
金賞
気にはなっていたが、ブログを書く気分になれなくて随分長い時間が経ってしまった。
そんな中先日嬉しい出来事があったので、久しぶりに書いてみよう。
印刷業界のある会で年一回開かれている印刷品質を競うコンテストがあり、当社は昨年初めて出品し、「審査員特別賞」を受賞した。その際金賞・銀賞を独占した印刷会社の方(以下敬意を込めて印刷バカと呼ぶ)と話す機会があり、印刷バカの印刷に対する情熱に触れ大いに刺激を受けた。同時に印刷バカをうならせるような印刷物を作りたいという思いも持った。
そこでこの一年間(ずっと考えていたわけではないが)「打倒○○」を合言葉に高品質印刷に取り組み、私のアイディアである「黒の中の黒」「茶色の中の茶色」のポスターを作成した。それは黒の背景の中に黒の革鞄、茶色の背景の中に茶色の革鞄が配置されたもので、見た目は地味だが印刷としては大変高度な技術を要求されるものである。
印刷に携わった社員は入社4年足らず22歳の若手。その彼が社長である私も寄せ付けず渾身の力で印刷したものは息を呑むほど素晴らしく、出品前に金賞受賞を確信したほどだった。
同時に入社2年足らずの若手営業部員のアイディアで印刷された機械式腕時計のポスターも手前味噌のようだが素晴らしい出来栄えだった。
両方を出品して数週間後、受賞の通知が届いた。震える手でそれを開封すると「金賞」の文字が。当然狂喜乱舞。社員へ大声で金賞受賞を伝えた私の目に飛び込んできたのは受賞作品の文字。何と受賞したのは私のアイディアである「黒の中の黒」ではなく、若手営業部員のアイディアである「機械式腕時計」の方。大変複雑な思いになってしまった。
東京での展示会・研修会・授賞式に参加してきたが、その展示会には受賞作品が展示されており、当社の作品も堂々とその場にあった。すると当社の作品を腕を組みながら食い入るように見る人が。そう、あの印刷バカである。しばらく後姿を見ていた後、声を掛けると第一声が「まいりました」。これには涙が出そうになるくらい嬉しかった。その後も胸のポケットから取り出したルーペで作品を見ては、賛辞が止まらない。さすがは印刷バカだ。さらに嬉しかったのは選にもれたが展示会にお情けで展示してくれていた「黒の中の黒」の説明をすると、「私が審査員ならどちらも金賞だ。どちらかと言うとむしろこちらかもしれない」という言葉。
この言葉をもらったからという訳ではないが、受賞したのがアイディア・撮影・補正・レイアウト・印刷の全てを社員が行ったものであるということはこれ以上ない喜びだと思えた。
その後の授賞式には得意気で満面の笑みの私がいた。そういえば印刷を担当したあの若手印刷オペレータに読ませた本は印刷バカが著したものだったなぁと思いつつ・・・。
厄年
とは「災難に遭うことが多いので気をつけるべきだといわれる年。」らしい。
前厄に入ってまだ1ヶ月も経っていないというのに、良くないことばかりだ。
もう一度厄払いに行くべきなのだろうか・・・。
後厄が終わるまでのことを考えるとあと2年11ヶ月もある。
こんな調子で厄を乗り切れるのだろうか。
ま、精神的なものだと思うが、ならばなおさら厄払いに行って精神的に楽になるべきか。
それにしても自分の力ではどうにもならないことで良くないことが続きすぎる。
きっと偶然だよな。きっと・・・。
きっと明日はいい日になるだろうな。きっと・・・。
記事
今朝、朝刊を読んでいるとジワ~っと胸が熱くなる記事が。
ゆっくり感慨にひたっていると10分ほど遅刻してしまった。
戦争、平和。人間。う~ん・・・。
http://www.asahi.com/national/update/0119/TKY200701180382.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070118i112.htm
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070119k0000m040106000c.html
http://www.sankei.co.jp/chiho/niigata/070119/ngt070119001.htm
http://www.mukogawa-u.ac.jp/