アイドル

先週水曜日の夜に私が憧れる人を取り上げたテレビ番組があった。私がその人を心から好きで、その人に関わるものを集め、その人が住んでいた家まで行ったくらいであることを知る人たちからその番組の情報が寄せられた。もちろん私は知っていたが、何人もの人が電話やメイルで知らせてくれた。
「焼酎」の時にも書いたと思うが情報を発信するところに情報が集まるということをあらためて実感した。
それにしてもこの時代にあの人が取り上げられるというのは大変嬉しいこと。私にとって雲の上の人だが、あの人に近い人が今の時代に現れて欲しいと切望する。
また「武相荘」に行きたくなった。

観劇 感激

昨日三木市文化会館で行われた朗読劇「この子たちの夏」を観に行ってきた。観に行ったというよりも実行委員の一人として少しお手伝いをしてきたものであるから、昨日も昼から搬入やプログラム販売も手伝いながら、何とか19時の開演から観ることができたという感じ。
「この子たちの夏」とは地人会という劇団が21年前から全国で700回以上上演し続けてきている、広島・長崎で被爆された親・子の手記を朗読するというもの。6人の女優と5人の地元ボランティアが舞台の上で手記と短歌をひたすら朗読する。ただそれだけ。舞台の上にはスクリーンがあり、そこには手記を書いた方の名前とたまに写真(全てモノクロ)が映し出されるが、基本的にはひたすら朗読。それもマイクを通さず肉声での朗読。
カラー画像、動画、3DCG、5.1chサラウンド、バーチャルリアリティ・・・。
ひたすら肉声での朗読。
仕事上では新しい技術を追いかけ、お客様にその提案を進めてはいるが、「かなわないなぁ」というのが正直な感想。肉声での朗読だけ。それだけが自分の脳と心に強烈に突き刺さり、涙があふれる。
便利なツールは人間の想像力を破壊してしまうのかもしれないという憂いもある。しかし、コンテンツによっては有効な手段が幾通りもあり、正しくお客様に提案することのみが我々の存在価値だと考える。便利なツールが人間に与えた余力が正しく良い方向に使われることを信じて仕事に向かうべきだと。
60年以上も経ちあらゆる技術が進歩している。残念ながら武器・兵器も大変進歩してしまっているよう。しかし、あの日以来人が人に対してあの爆弾を投下したことは今のところ無い。世界中で紛争・戦争が起こっているにもかかわらず・・・。その事実があの爆弾の悲惨さを物語っているように思える。今のところ人間にはあの悲惨さ残酷さに対する記憶はあるようだ。これは全世界に語り継いでいかなければならない最も重要な過去であることは間違いない。
「この子たちの夏」は今日堺市で上演される。

3

私はスリーフィンガーである。今この時もスリーフィンガー。右手の中指と人差し指、左手の人差し指しかキーボードに触れていないのである。
初めてコンピュータに触れたのは1986年、今からちょうど20年前。入社後3年程は一日中コンピュータを使う仕事に従事していた。にもかかわらずスリーフィンガー。しかし、スリーフィンガーにしては入力スピードもそこそこ速く、ストレスを感じることは無い。ただ、人に文字入力している姿を見られるのは大変恥ずかしいのだ。先日大変小さなノートパソコンを購入した。これこそが完全モバイル仕様のマシンとほくそ笑み、ワイヤレス環境を整えていざ街へ繰り出しマクドナルド等でワイヤレスネットワークを駆使し、モバイル環境を体感しようと思うのだが、人前で右手の2本の指が「T」や「F」辺りのキーまで侵している入力スタイルを見せるのは非常に恥ずかしい。
以前社員に薦められたブラインドタッチ養成ソフトで練習して、美しい姿での入力ができるようになりたい。街に出るのはそれからだ。何事も格好から入る私にとってはとても自然なことだ。
さ、練習しよう。因みにこれを入力するなんてあっという間のことだった。何の問題もないのだが・・・。格好さえ気にしなければ。

ようやく

次の日曜日と月曜日の早朝でようやくW杯が終わる。寝不足の日々から解放されるわけだ。と言ってもサッカーの無い日は飲みに出掛けていたので、その回数が増えるだけかもしれないが・・・。
大会が始まる前はフランスの優勝を予想していたのだが、今となってはイタリアが優勝しそうな気がする。それにしてもジダンの本気がもう見れなくなると思うと寂しい限りだ。社員からは頭髪だけジダンに似ているなどと言われたものだから余計に親しみを感じている。
ジダン、フィーゴ、ロベカル、中田英・・・。
隣の国からミサイルが発射されているというのに、呑気にサッカーや酒を楽しんでていいものだろうか。

履き倒れ

私は靴を磨くのが好き。と言っても人の靴を磨くほど靴を磨くことが好きではない。昼休みに自分の靴を磨いている。
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高校生の頃お年玉を貯めたお金で少し贅沢なポストマンシューズを買って、それを毎日のようにピカピカに磨いて登校していた。当時キャンパス内に靴修理屋のおっさんがいて、意外にもそのオヤジの腕が良く、何度も底を張り替えてもらったりして大学生になってもその靴を履き続けていた。
その後その靴を履くこともなくなったが、どうしても棄てることができず引越しのたびにかみさんと口論になりながらも下駄箱の奥で隠居生活を送っていた。昨年大掃除の際その靴が発見され、その時にはカビも生えていたため断腸の思いでとうとうお別れした。寝不足の朝に棄てていいか尋ねられつい頷いてしまったことを今でも後悔している。
マメに靴磨きをしているが、これは完全に自己満足。私の足元を気に掛ける人などいる訳もない。ただ自分の足元がきれいであることでキチンとした気持ちになり仕事に向かえるのだ。
そう言えば、一人私の足元を気に掛けてくれる人がいた。鞄屋の革オタクのオヤジだ。彼は私の足元を覗き込み「いい革やなぁ」と言ってくれる。「いい靴やなぁ」って言えっちゅうねん!

久しぶりのフルコース

先ほど食べ終わった本日の私の昼食。久しぶりに代表取締役にふさわしくフルコースにした。
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食べ終わった後に「幸せぇ~って何だっけ何だっけ♪」と口ずさむ呑気な昼休み。
営業部員が持って帰ってきたその時「アメリカ産牛肉輸入再開について日米が合意」のニュース速報。
いよいよ豚から牛へ・・・。待ち望んでいたその日が確実に近付いている。今までこの逆境の中頑張り続けた吉○家さんに拍手。
因みに持って帰ってきてくれた営業部員は貧しい学生時代に吉○家さんで白い飯と味噌汁だけオーダーして紅ショウガをおかずの夕食をとったことがあるらしい。その彼は今日特盛を食った。「社会人っていいなぁ」と思っていることだろう。

ブルー

盆栽・箱庭・相撲・ゾーンプレス・コンパクトサッカー。横並び・統制・協調・フラット3・組織サッカー。想像力・創造力・個人技・自主性サッカー。
昨日のシャツとネクタイもブルーだったけど、今日は別の気持ちでブルーのシャツとネクタイ。朝からテレビでは選手交代の内容やタイミングに疑問を投げ掛ける解説者。
私のところにもたくさんの選手達がいる。その起用法や環境作りに問題点があれば指摘してもらいたい。私はいつでもそれらに耳を傾ける用意がある。サッカーはいいじゃないか、次勝てばいいんだから。会社経営の敗戦は次のチャンスが与えられないかもしれないのだ。そう、18日と23日に勝てばいいわけ。簡単なこと。自主性を重んじたこの4年間を否定されないためにも是非いい試合を見せてもらいたい。「日本人はやっぱり型にはめた方がいい。創造性にも自主性にも欠けている。」なんて言われたくない。はず。

W杯

いよいよ今日W杯で日本が初戦を迎える。小学校・中学校でサッカーをやり、最近でもフットサルをやっている私にとっても大変楽しみなイベントである。今もドキドキして約8時間後に迫ったキックオフの時間が待ち遠しい。
前回の2002年の大会では日本の全試合を大勢の仲間達と大画面テレビを観ながら絶叫していた。特に勝ったチュニジア戦の後は仕事もほったらかして三宮へ繰り出したことが昨日のことのように思い出される。今回の大会はどうなるだろう・・・。周りのみんなもすっかり解説者気取りで色々予想をしているが、私も希望を込めて予想してみよう。予選は2勝1分で突破し、ベスト8まで進む。進め。進んで欲しい・・・。
これから2週間は声変わりしそうだな。

ディープのように

一昨日フットサルの練習を4ヶ月ぶりくらいに再開した。全く動けない。そりゃそうだ。日頃摂生して鍛錬を積んでいるプロのアスリートでも年齢による衰えは避けられないというのに、普段会社の階段を何度か昇り降りするだけの人間が着替えただけで走れる訳が無い。それにしても酷いもんだった。さらに昨日も体が全く動かず、今も立ち上がる時には相当気合を入れないといけない始末。これで今秋の大会に優勝することなんてできるのだろうか・・・。いや、できる。馬も人間も年々ズブくなっていくもの。あのディープインパクトですら調教ではあまり動かなくなってきているが、本番ではキッチリ結果を残している。そう、我々もディープインパクトと同じなのだ。秋には彼も我々も勝利を掴む。さ、サッカーシーズンの開幕だ。

心理学勉強しておけば・・・。

先週一週間このブログの更新を怠ってしまった。誰に対してって訳じゃないけど気まずいもんだ。大変忙しくさせてもらっていたというありがたい理由もあるのだが、何となく精神的に不安定な時期を過ごしていた。
ワカメで埋め立ての夢の頃からだろうか、やたら死んだ兄貴のことを思い出すことが多く、寝る時など自分の心臓も止まってしまいやしないかと不安になることも多かった。命日に兄貴と長い付き合いのあった人たちが集まってくれ偲ぶ会を開いてくれた。色々な思い出話をし、たくさんの人たちが兄貴の死を今でも悲しんでくれた。そんな中共通の友人がこの日のために一所懸命練習してくれ、兄貴が好きだった高中正義の曲をギターで弾いてくれた。感動した。そんなみんなの思いと、会社を引き継いだ私を支えようとしてくれる気持ちに打たれっぱなしの私の心だった。嬉しさや責任の重さが私を妙な精神状態にしていったが、仕事に影響してはいけないと思い続けていた。そう強く思えば思うほど、仕事から離れた時とても不安定な状態だったと思う。しかし、客観的に自分の状態を考えることに努めていたので見失うことはなかったはず。
先週兄貴の誕生日があり、奴の写真を持って会社の連中と飲み歩いた。その日に何故かもの凄く楽になった。どうせ毎年この時期には兄貴のことを思い出してこんな精神状態になるんだろうと思えた。早死にしたことはとても残念なことだけど、その分長く思い続けてやることができるんだと。何故かそう思えた。
いつもにも増して乱文だ。でもお構いなく公開してしまう。垂れ流し失礼。