安い運賃を売り物にしている航空会社の飛行機の計器に異常が見付かり、6便が欠航し約1,000人の乗客に影響があったというニュースがあった。たった1機の飛行機の計器に異常が見付かっただけで、たくさんの人に影響があった訳だ。もし、私が欠航した便を利用する予定であったとすれば、恐らく怒鳴り散らして二度とその航空会社を使わないとわめいていたことだろう。しかし、どうして代替機がなく欠航ということになったかを冷静に考えると納得せざるを得ない。つまり代替機等の準備にかかるコストを削減したことも安い運賃を設定することができた理由の一つなのだろう。さらに安い運賃であることにメリットを感じ、その航空会社を選択したのは自分自身である訳だからリスクも自分に返ってくるのは当然。
と言えるのは私がその便を利用する予定が無かっただけであることも事実。もし利用者なら前述の通りの反応を示していただろう。
神戸空港が開港して約10日。早速このようなことが起きてしまった。神戸空港に関しては様々な意見があることは承知しているが、開港したという事実がある限りこのようなことで評価が下がるようなことはあって欲しくない。神戸で生まれ神戸を愛する者としてそう願う。
名字
私の名字に「武」の字が含まれています。幼い頃親父が名字の「武」の字を人に説明する時に「武士の武」と言っていたのを聞いたので、私は先祖が武士だったに違いないと思っていました。ところが随分経って先祖が武器を作っていた人なんじゃないかという話を聞き、同時に昔刀鍛冶だったことの可能性が高いことを知り、少しガッカリしたものです。もちろん刀鍛冶も立派な職業なのですが、武士だと思い込んでいて友達に自慢していたものですから少し恥ずかしい思いをしました。
最近私と同じ名字の人がテレビに頻繁に出てきますし、街でも大変話題になっています。鈴木さんとか田中さんだったら同じ名字の人に出会ったり、テレビや街中で同じ名字の人が話題になってもそれ程気にならないかもしれないですが、私と同じ名字の人の話題を耳にする機会はほとんどないので、いちいち反応してしまいます。それもあまり良くないこと(真実は分かりませんが)で話題になったりもしますので、その度に嫌な気分になります。ま、それもしばらくの我慢でしょうが。
俺としたことが
あれだけモノ持ちのよさを自慢したと思ったら、やってしまった。
3日前、4軒のはしごを終えてすっかりベロベロになった私。それでもいつものようにしっかり傘は忘れずに持っていた。さすが俺。帰りのタクシーにも当然傘は忘れずに持って乗った。さすが。なのに降りるときにほんの一瞬気が緩んだのか、持って降りるのを忘れた。俺としたことが、信じられない・・・。直後に気が付いたが、その時にはタクシーのテールランプは小さくなっていた。それを見送りながら家の前でしばし呆然。ショックだ。
その傘はクレジットカードのポイントを貯めてもらった傘職人の手作りの傘で、皇室の方々も愛用されている大変素晴らしい傘だった。滅多にさすことは無かったが、使った後はしっかりと陰干しをしてマニュアル通りに大切にしていた。なのに・・・。
やはり俺にはビニール傘がお似合いなんだな。
大げさかもしれませんが
会社の窓からの景色です。目の前の橋は10数年前に完成した「東神戸大橋」という阪神高速道路湾岸線の橋です。工事中左右から少しずつ伸びて出来上がっていく様子を同じ場所から写真に撮り続けていました。施工されていた会社が偶然当社のお客様で、その写真を差し上げたところ自分達の仕事を見守っている人がいると大変喜んでいただいて、開通前に撮影者である私の親父と発案者である私を橋脚のてっぺんに招待してくださいました。それはそれは素晴らしい景色で、二度と見ることができないだろうという思いも合わせて大変感動したことを覚えています。ただ、下を工事関係車両が通る度に揺れることと後頭部で光る航空機用のフラッシュライトの光の強さには恐い思いをしましたが。
残る仕事っていいですよね。我々の作る印刷物は何百年にも渡って保存された実績のあるメディアです。携わらせていただく仕事に対して常に「残るもの」という意識を大切にしていきたいと思います。全ての仕事に対して「良いもの」を作りたいです。心からそう思います。そう思わせてくれた人やモノとの出会いに感謝しながら「良いもの」を作るプロの集団である会社にします。禁煙はまだ宣言できませんが、このことはここで全世界に向けて宣言します。
モノ持ち
がいい私。以前かみさんについて書いたら、かみさんから嫌味たっぷりの感謝メイルが来た。
でもやっぱりモノ持ちがいい私はどこかでもらったビニール傘を錆びて破れるまで使い続ける。飲みに行って途中で雨が止んでいても忘れたことがない。昨年末穴だらけになり、もう雨から私を守れなくなったため、断腸の思いでお別れした。
タバコを止めようと思った2002年からライターにガス・オイルを入れることを止め、その代わりどこかでもらった100円ライターを使うようになった。どれだけ酔っ払っていても忘れることはない。タバコを1カートン買う度におまけでもらえるので、私の手元には100円ライターが増えていく。
止めようと思ったタバコも未だに吸い続けてしまっている。この習慣だけは持ち続けるべきではないと思っている。昨日社員に指摘され、禁煙を促された。分かっている。でもここで禁煙宣言する勇気はない。もう少し猶予期間が欲しい。ストレスなく自然にタバコとお別れしたいと思っている。少しの間別れを惜しませて欲しい。少し・・・、しばらく・・・。
バカボンはバカを目指す
革バカのおやじを知っています。
数年前財布を買い替えたかった私は色々なショップを見て回りましたが、気に入るものがなく、ようやくネット上で見付けた鞄職人と称する人が作った財布を買ってはみたもののとても満足できるものではありませんでした。仕方なくそれを使いながらさらにネットで探していると、あるサイトの一部で少しだけ紹介されている鞄工房が六甲アイランドにあるという情報に出会いました。近いという理由だけですぐにそこを訪れてみると、そこに置かれていた財布は完璧に私が求めているもので、まるで私のためにオーダーメイドされたもののようでした。あまりに嬉しく、そこにいたおやじに話かけるとそのおやじは初対面の私に延々と革の話をするのです。しかしおやじが口にするブランドのほとんどは私にとって初めて聞くものばかり。それもそのはず、話に出てくるブランドは鞄のブランドではなく、革のタンナー等の会社、つまり革そのもののブランドなのでした。
そんなおやじのところにちょくちょく顔を出させてもらうようになって、少しずつ身の回りがおやじの作品で占めるようになっていったのですが、私が行くとおやじは私の靴を見て「いい靴ですね。」と言うのではなく「いい革ですね。」というのです。ある日、購入を検討している車のカタログを私に見せ、どっちがいいと思うかを尋ねてきました。しかし、片方はバリバリのスポーツカー、もう片方は思いっきりファミリービークル。車の種類の違いに唖然としつつ何故この2車が候補になっているかを逆に尋ねると、シートの革で車を選ぼうとするのです。これを革バカと呼ばずに何と呼べばいいのでしょう。
私は印刷物だけではなく情報発信のための様々なメディアに関わる仕事をしています。私は情報バカ・メディアバカでしょうか?
1年以上前から新しい財布を作ってくれるよう頼んでいるのですが、全く手を付けようとしてくれません。最初は忙しくなってきてなかなかたどり着かないんだと思っていましたが、最近になって数年使って艶が出てきた私の財布が引退することを惜しんでいるのではないかと思えるようになってきました。商売より自分の作品が長く愛されて使われることを選ぶ人だと思うのです。
今私が使っている財布は本当に素晴らしいものですが、一つだけ重大な欠陥があります。それは入れていたはずのお金があっという間に消えてなくなることです。これを修理してくれたら私はおやじをバカ呼ばわりしません。神と呼ぶことになるでしょう。
今日おやじに泣かされました。
http://www.kabanya.net/weblog/
おばちゃんがいたところ
「おーい、おばはん、刷り上ったぞ!」という口の悪いベテラン印刷職人の声で製本作業台の上で寝ていたおばちゃんが動き始める。おばちゃんは刷り上ったA全判の紙の山の前に立ち、右手の親指と人差し指で紙の端をつまみ手首を少し返す。すると紙は美しく扇型に広がる。左手の親指をペロっと舐めたおばちゃんは紙を5枚ずつ数え始め、50枚ごとに互い違いにずらしていく。あっという間に作業を終えたおばちゃんは自分の場所である作業台に戻り、寝る前に吸っていたセブンスターのシケモクに火を付ける。
私は小学校高学年から毎年春休みには社会見学を兼ねた納品の手伝いでこの会社に出入りしていた。その頃からおばちゃんはおばちゃんだった。ちっちゃなおばちゃんは昼休みにはやはり作業台の上で昼寝をしていて、1本のセブンスターを何度かに分けて吸っていた。仕事の合間にはよく昔話を話してくれたが、私が入社した後の昔話は必ず「あんたはおじいちゃんによく似てる。」で終わった。震災の2年位前に引退したおばちゃんはその後会社に顔を出したことは無い。今どこにいるのかも分からない。
昨日、建て替え前の社屋にあったおばちゃんの作業台辺りでほうきを持っている私がいた。じいさんがよく会社のあちらこちらを掃除していたことを思い出した。掃除しながらおばちゃんの言葉も思い出していた。この新社屋を一番見てもらいたいのはじいさんだが二番目はおばちゃんだ。
おばちゃんがいたところには今昨年末導入した新しい製本機がある。
インターンシップ
ここ数年インターンシップの学生・生徒さんたちを受け入れている。一週間の就業体験でどれだけ実際の現場での仕事を体感させてあげられるか自信が無いまま、お客様の要請により何年も受け入れている。お客様には無責任で勝手なことを言っているようだが、実はこれは社員にとっても貴重な経験になっている。キャリアの浅い社員にとっては教えるということで自らが学び、挨拶などロクにしなくなったベテラン社員にとっては礼儀の大切さを再認識するいい機会になっている。
これらはDTPによる制作や画像補正等を行っているところ。
外注先である製本会社に見学に行ったところ。
実際に印刷機(嘘みたいに古い機械)を操作しているところ。
上の写真以外でも社内であらゆる仕事を経験してもらって一週間の就業体験が終わる。
彼らに何か一つでも得るものがあったらと思いながら彼らを見送る。
数年前インターンシップで当社に来た「男の子」が今は当社にはかげがえのない戦力になっている。
一昨年インターンシップで当社に来た男女各一名が今春新入社員としてやってくる。
この場を経験した人たちがこの場を選んでくれるということは大変嬉しいこと。
あとは彼らを一人前に育てることが我々の責務である。
年頭に
あけましておめでとうございます。
今日から今年の会社の業務が始まりました。約一週間の正月休みで確実に成長した腹回りを見ながら、38歳にしてよくも一週間でこれだけ成長できるものだと感心しています。
以前は一年があっという間に過ぎていくことを悲しんでばかりいましたが、この立場になると早い時間経過を喜ぶようになりました。無事に会社を一年続けることができたことと、借入金の返済期間が一年縮まったことを心の底から喜ぶようになったのです。もちろん何もしないで時間だけが過ぎて行ったのではありません。一日の積み重ねが一週間になり、一週間の積み重ねが一月になり、そして一月の積み重ねが一年になったわけですから、振り返ると濃く重い時間がそこにあったわけです。1時間が3,600秒であること、1年が365日であることは私にも平等に与えられた事実です。もがきながらも私なりに精一杯この一年を走り続けたいと思います。
「この会社に仕事を頼んでよかった」とお客様に思っていただき、「この会社に入ってよかった」と社員に思われることが私の使命だと思っています。そのため今年は「人にやさしく」をテーマに何事にも厳しく取り組んでいこうと思っています。
それはパパのセリフ
私はこの会社の創業者の孫として生まれた。その後社長の息子になり、社長の弟になり、社長になった。中学校からエスカレータ式の私学に通い、全く勉強せずに高校・大学とギリギリで滑り込んだ筋金入り・無添加・純粋・正真正銘のバカボンである。しかも大学在学時に休学し、アメリカで留学と称する遊びに1年も費やすことを許された自他共に認める紛れも無い本物のバカボンである。
しかし、そのバカボンも38歳になり、父親になり社長になった。そのままバカ親はもちろんバカ社長になってはいけない。幸い学生時代に脳みそを使わず新品のままおいておいたので、今でも新しいことを吸収することができている。(はず)
間もなく社長になって2回目の正月を迎える。来年はこの新品の脳みそを活用し、しっかりと自分らしい社長になりたいと思っている。バカボンであり続けることができた過去に感謝しつつ精進し成長したい。そう、バカボンは過去のものにしなければいけないのだ。それでいいのだ。