先日、来年度から始まる研究演習(ゼミ)の選考がありました。私は教育制度論や教育社会学を専門とされておられる先生のゼミを志望したのですが、選考に漏れました。面接を受けた結果落とされてしまったのです。
発表された直後授業をサボり、家に帰って缶ビール。鰻屋の開店を待ってビール。寿司屋に移動して焼酎。その後BARを3軒ほどはしごしてハイボール。
完全に記憶を失ってしまいました。
それから数日間は学校にも行かず毎晩飲み歩いて過ごしてしまいました。
でもその数日の間で僅かなシラフの時間帯に色々考え一つの結論を出しました。
ゼミは卒業必修科目ですので、第一次選考で定員に達していないゼミを第二次で選ぶという道があるのですが、元々学位を取ること目的として50歳で教育学部に入学した訳ではありませんので、学びたい内容とは違うゼミを選択することはやめようと思います。
また教壇に立つことを目的としていた訳でもありませんので、教員免許取得のための必修科目の履修も中止しました。
来年度はゼミを履修せず、他学部開講科目も含め取りたいと思える科目だけを履修して何にも縛られない学生生活を送ってみようと思います。
自分の中で納得ができればその時点で自分なりの卒業論文を書き上げて中退するか、1年遅れでゼミを履修し卒業を目指すかのどちらかになると思います。
それにしてもまさか落とされるとはなぁ。
やっぱりフレッシュさが無かったのかなぁ。
でもこれが私にとって最良の道になると信じています。
一週間ほど学校に行っていない間、同級生・先輩、キャンパスのスタッフの方々が私のことを心配してくれていました。久しぶりに私を見て涙ぐんでくれる子もいました。異口同音に「このまま中退しないで欲しい」。泣けてきました。
私、現在52歳ですが、こんな熱い学生生活を送っております。
関西学院大学教育学部2年生 武部 健也
不良教師
今日は弊社創業者である祖父の31回目の命日。
今年はミチオシエに出会えなかったけれど、雨を避けてどこかで見守ってくれていることだろう。
創業前高等学校の教員をしていた祖父の血が私の中で騒いでいるのだろうか私は現在大学の教育学部に籍を置いている。
20年程前になるが、祖父の教え子という人に会ったことがある。
その方から祖父が宿直の時は何人かの生徒が宿直室に集まり酒を飲ませてもらったこと、タバコを吸わせてもらったこと、小遣いを花札で巻き上げられたこと等を聞かされた。
「卒業する時、武部先生が出来の悪い私のために頭を下げて頼んでくださった会社に定年まで勤めることができました。いくら感謝してもし切れません。手を合わさせていただきたいのですが、お墓の場所を教えていただけないでしょうか?」
という言葉がなければ、単なる不良人間だったが、かろうじて教師であったようだ。
それにしてももう時効だろうけど祖父はとんでもない人だった。
そういえばおふくろが晩年、
「あんたほんまにおじいちゃんそっくりやわ。」
と私に言う時、嫌そうな顔をしていた理由が少し分かる気がする。
間もなく弊社の第71期が終わる。
祖父がこの世を去ったのは第40期末だった。
学生生活日記10
本日春学期の定期試験がめでたく終了し、夏休みに入りました。
もちろん夏休みと言っても仕事をする訳で、会社と業界団体の仕事の予定をびっしり入れられています。
大学2年生の半分が終わりましたが、1年前とは私を取り巻く環境は随分変わりました。
まずは守衛さん。おはようございます!と同時に左手の親指と人差し指で輪っかを作り一杯飲むポーズ。さようなら!と同時に左手の親指と人差し指で輪っかを作り一杯飲むポーズ。これが私と守衛さんの日課。
守衛さんだけではなく同級生も私の歩き方で二日酔いを心配してくれるようになった2年の春学期。
今期授業中に三度社会人として学生に話す機会を与えられました。
普段の私を知っている人が見たら笑えるくらい熱くなっている私がいました。伝えたいことがたくさんあり、熱くなってしまったのです。でもなかには聞く態度の悪い奴がいて、話しながら怒りも込み上げてきてしまいます。これで怒っているようでは私は教師には向いていないのでしょう。
またかなり少なくなってきてはいますが、相変わらず学ぶ姿勢のできていない学生もおり、腹立たしく感じることもしばしばありました。授業中にパンを食いながらスマホでムービーをみている奴は、何度も日本一になっていることを誇る体育会系の部員だそうで、そんなチームを応援する気には全くなれません。こういう姿を見るのが嫌なので私はいつも教室の前の方に座るのですが、こいつはほとんどの授業に遅刻してくるので後方の席が空いていない時はたまに私の前に座るのです。遅刻しているのに慌てる様子もなく堂々と入ってきます。しかも階段から近い方ならば前の扉からでもお構いなく悠然と入ってきます。教員は慣れているのか注意もしません。出席さえすれば単位を与えるのでしょうか。さすがに日本一を目指すチームの一員は堂々と立派なものです。
先日真剣に授業を受けている学生たちと話をしていたら、彼らも大変不愉快に思っており、授業の邪魔だと思っているようなので、今後は教員が何も言わなくても私が言わなければならないと思いました。
1学年上のラガーマンとは時々同じ授業を受けているのですが、彼はいつも早く着席しています。彼が出場する試合を応援に行きたくなりますし、ラグビーが取り上げられるテレビドラマが多いのも分かる気がしました。
一方で感激するくらい良い学生もいるので救われます。
今期基礎演習でグループワークを行ったのですが、そのメンバーが本当に素晴らしく、気持ち良く学び合うことができ私の方が勉強させてもらいました。
その中の一人は朝、小学校の登校の見守りのボランティアをしてから授業を受け、子ども関連の施設でアルバイトをするなど、常に子供と関わるものを選択して小学校教員を目指しているのです。目標をしっかり持って一所懸命に取り組んでいる彼との会話は本当に清々しく、心から応援したくなります。彼が小学校教員を目指すきっかけとなり、今もなお熱い思いを持ち続けさせている彼の小学校2年生の時の担任の先生に会ってみたいものです。
彼をはじめ学校で私に話し掛けてくれる学生はもの凄く増えました。LINEで繋がっている学生も増えました。父親世代の私を友人のように扱ってくれる学生も増えました。
大変充実した学生生活を送っております。秋学期はゼミ選びなどもあり、同級生たちはますます将来について真剣に考え始めることでしょう。51歳の同級生が役立つ場面が増えることを望みながら夏休みに突入します。
関西学院大学教育学部2年生 武部 健也
学生生活日記09-2
今日は気持ちのいい日なので一人で美味い酒を飲んでいます。
今の大学生はとても悩んでいます。
進路について一所懸命悩んでいます。
周りの大人たちが真剣に向き合わないからとても悩んでいます。
今日授業で少しだけ学生に話す機会をいただきました。
私も履修している学生の一人ですが、今日は社会人として学生たちが将来を考える一助になるべく話しました。
柄にもなく熱く空回りしながら話しました。
授業の終わりに何人かの学生から「今度ゆっくり相談にのってもらえませんか?」って。
こんなおっさんが同じ教室におるなら使わんとね。
ダメな奴もいるけど、こんないい学生たちもいるからやめられまへんわ。
ただでさえ美味い酒もさらに美味くなるでしょ?
明日も授業なので程々で帰りますが、今日は51歳の学生冥利に尽きる日でした。
関西学院大学教育学部2年生 武部 健也
学生生活日記09
「武部、大学辞めたんちゃう?」の声も聞こえそうなくらい久しぶりの学生生活日記ですが、ちゃんと大学2年生の生活を送っております。
1年生の時より1限の授業が多く、酒を控えなければならない日も多いのでなかなか大変です。
始まって2か月が経ちましたがなかなかナイスなことが多く、1年生の時より充実した日々になっています。
そんなナイスな出来事を羅列していきましょう。
まず、教室の前方に座って授業開始を待っていたら、扉を開き入ってきた先生が私の顔を見るなり「すみません、間違えました。」と出て行ってしまいました。
別の授業で同じように授業開始を待っていたら、同じ学年の女子大生が「武部さん、これどうしたらいいでしょうか?」と差し出してきた封筒は国民年金の納付書でした。
キャンパス内の自動販売機に体脂肪を減らすことを謳ったお茶がないことを不思議に思っていましたが、体脂肪を気にする学生はほとんどいませんでした。
そんな中4年生の先輩たちは教採やら就活やらで大変そうにしています。
彼らとはよく話すのですが、既に大学生活をやり直したいと言う学生も少なくありません。
ま、仕方のないことですが、1年生の時からもっと地に足をつけた生活をしていたらよかったと後悔しているようなのです。
彼らはボランティアや様々な実習に行って充分やっていると思うのですが、そういうしっかりした学生ほど後悔するようです。
昨年先生とマンツーマンだった素晴らしい授業も今年は受講生がゼロで閉講になってしまったようで本当にもったいないことです。
仲の良い4年生の先輩数人に紹介したところ、実習との兼ね合いで履修することは叶わなかったのですが、聴講するつもりだったらしいので閉講になり残念がっていました。
一度目の授業を聴講した際に刺激を受け、聴講を楽しみにしていましたのでこういったあたりにも学生生活への後悔が出てくるのでしょう。
私が今期受講している科目の中に学生7人くらいの少人数のものがあります。
そこには4年生の学生や中国からの留学生数人もいますので、少人数でも大変濃いメンツです。
51歳のおっさんも含まれている訳ですから。
ここでは学生同士のディベートに近いものもあり、大変楽しいです。
純粋にこの授業を楽しみにしています。
それにしても1年生はハッキリ分かりますね。
とってもはしゃいでいます。
昨年の自分もそう見られていたのかなと思いましたが、昨年は今より1つ若いですがそれでも50歳のおっさんでしたから見える訳ありませんね。
つまり昨年の1年生は少し落ち着いてきたということです。
大学進学率を上げようとする理由の一つに「若者たちを社会に出す時期をできるだけ先送りにする」というものがあると聞いたことがあるのですが、納得です。
しかし毎回出席を取る授業が学生に人気であることは不思議です。
関西学院大学教育学部2年生 武部 健也
51歳の末っ子
ぼくには二人お兄ちゃんがいました。
二人とももうこの世にはいません。
上のお兄ちゃんのことを「大きい兄ちゃん」二番目のお兄ちゃんのことを「小さい兄ちゃん」と呼んでいました。
正しい発音は「おっきぃいちゃん」「ちちゃいいちゃん」です。
これを上手に言えるのは家族でぼくだけでした。
当たり前ですよね、そう呼ぶのはぼくだけですから。
おっきぃいちゃんとは5つ、ちちゃいいちゃんとは2つ歳が離れていました。
歳が近いちちゃいいちゃんとはよくケンカをしましたが、遊ぶのもよく一緒で子どもだけで初めて外食した水道筋のたこ焼き屋さんもちちゃいいちゃんと二人でした。
ちちゃいいちゃんは勉強がとてもよくできました。
ちちゃいいちゃんが大学受験したときのことをよく覚えています。
当時共通一次試験というものがあって、ちちゃいいちゃんが受験する京都大学経済学部のボーダーラインは850点とされていたようです。
ちちゃいいちゃんは自己採点で851点だと親には言っていましたが、実は830点だったそうです。
浪人を覚悟して予備校の学費免除になる特待生試験にも合格していましたが、二次試験が終わった後こっそりぼくにこう言いました。
「数学5問中3問半できた。多分合格する。大逆転や。でもぬか喜びさせることになったらあかんから親には絶対内緒やぞ。」
何のことかさっぱり分かりませんでしたが、見事に合格したちちゃいいちゃんはさすがでした。
京都のちちゃいいちゃんの部屋にあった炊飯器を開けたときに見た美しい緑のカビ、北白川のバッティングセンターからの天一総本店、アメリカンフットボールの関京戦を観に行ったときベロベロになって関学を罵倒するちちゃいいちゃん。
色々思い出します。
あ、今日はおっきぃいちゃんの15回目の命日なのにちちゃいいちゃんのことばかり書いてしまいました。
ま、ええか。
墓参に行ってこよ。
2019春
大学2年生の春学期(前期)が始まりました。
まだ履修登録は完了していないのですが、学校と会社と業界団体の活動が始まっています。
春ですね。
出会いと別れ、新しい時間が動き始めました。
新鮮な風が吹いています。
今日も色々な立場で過ごしましたが、最後は先輩達と飲みながら話をする会でした。
4年生の先輩は22歳ですが、51歳の私に熱く語ってくれます。
51歳の私も熱く語りますが、彼らの方が熱く語ってくれます。
私をよく知る人たち、私が圧倒されるくらい22歳の若者が自分自身のことや、これからの教育について熱く語るのですよ。
素晴らしいと思いませんか?
躾とか教育こそが未来を作ると信じ、情熱を燃やす若者たちを育てなくて、この国の将来はあるのですか?
今春からもできるだけ教育学部で学ぶ一学生として学生日記を書こうと思いますが、今日は肌寒い春の夜の心地良い火照りだけを。
またお付き合いください。
「ブログ読んでるよ!」の声、嬉しいです。
今日は将来について悩み続ける先輩たちから多くを学びました。
西宮北口から特急に乗って余韻に浸る場へ到着。
学生生活日記08
昨日無事に後期(秋学期)試験が終わりました。ということは大学1年生の全ての日程が終了したということです。ということは今日から社会人に復帰しているということです。ということは昨夜は一人しんみり大学1年生を振り返って酒を飲んでいたということです。
試験は暗記を要する穴埋め問題にはかなり苦戦しましたが、論述問題はそれなりに書けたと思いますので、ある程度は単位を取得することができたと思っています。
さて、大学1年生の生活が終わった訳ですが、振り返ってみると多くの学びとともに多くの気付きを与えられた時間だったと思います。
もともと教育行政を学び、教員が理想とする教育を実践する手伝いができるように教育学部に入学したのですが、高等教育の場に実際に身をおくことで現状の問題点を肌で感じました。そのことについては以前から何度も書いていますので、今回は省略しますが、我々の世代がやらなければならないことについて51歳の大学1年生として今考えていることをほんの少しだけ書き残しておこうと思います。
1967年生まれの私は今まで何かを創造した訳でもなく、当然高度経済成長に貢献した訳でもありません。ただ先人たちが築いてくださった豊かさの上に胡坐をかき、その財産を食いつぶしてきてしまったのです。
しかしそれを棚に上げて次の世代を担う若者たちには言わなければならないと思います。
「申し訳ないけど君たちが食いつないでいける財産はもうこの国にはない。僕が食いつぶしてしまった。君たちは新しい何かを生み出さなければならないんだ。」
と。
教育の重要性が増していると思います。それは学校における教育だけではなく家庭における躾や地域社会による指導も含めてのことです。
ハラスメントやコンプライアンスという言葉に脅え、人との関わりを希薄にしてこの国は豊かになりましたか?
この国の将来は明るいものになりましたか?
大人は自分のことを棚に上げてでも若者に正しいことを伝え続けなければならないと思います。
はい、そうです、私は自分のことを棚に上げないと今の若者に何も言えません。
それでも大学2年生になったらもっと積極的に学友たちに語っていこうと思っています。
週に1日しか社員がいる日に出社できない日々が続き、当初うるさい小舅みたいな私がいないことで緩んだ空気もありましたが、最近では社員それぞれが自覚をもって業務にあたってくれていますので、社員もこの時間をいいものにしてくれたと喜んでいます。
4月から大学2年生として再スタートするまでは社会人生活に集中しようと思います。
関西学院大学教育学部1年生 武部 健也
学生生活日記07
こんな大学1年生は滅多にいないはず。
アウロラの万年筆にル・ボナーのペンケース。
毎日尿酸値と中性脂肪を下げる薬を飲んでから通学。
飲み会に間に合わせるために正門にタクシーを呼びつけておく。
守衛さんに「先生!タクシーはこちらです。」と案内される。
胃カメラでの検査を受けてから授業を受ける。
授業が終わったら疲れを癒すために鰻で一杯飲んで帰る。
授業と授業の間に学校を出て鰻を食いに行く。
老眼鏡を忘れてレジュメも自分の書いた字も読めなくなる。
一夜漬けると忘れてしまい当日の朝に覚えたことしか答案に書けない。
「皆さんが生まれる前のことですが、私は中学2年生だったのでハッキリ覚えています。」と先生が阪神淡路大震災のことを取り上げたが、その時既に一児の父だった。
そんな
関西学院大学教育学部1年生 武部 健也
学生生活日記06
先日関西学院大学で授業を受けてからゲスト講師として招かれて武庫川女子大学へ行きました。
その後会社で仕事をしましたので、その日は学生→講師→代表取締役と楽しい一日になりました。
武庫川女子大学では2年ぶりに「本を編む」(https://www.d-wa.co.jp/kenblog/wp-content/uploads/old/2016/06/post-246.html)の授業に参加させていただき、学生たちに印刷と造本について話をさせていただきましたが、その後に受けた質問が大変鋭く文字文化や紙媒体の将来、技術革新の動向や社会が求める人材等に話が及び、私も興奮気味に一所懸命答えさせていただきました。
そこで私が学ぶ関西学院大学教育学部の現状を思い起こしたときに大変悲しい気持ちになりました。
私が履修する科目の一つを担当されている京都の大学の先生が、学生に向かって教員を志望する者の挙手を求めました。
挙手した学生が50%を切っている状況を確認すると、
「ホッとしました。あなたがたのように学ぶ姿勢を持たない者が、人の一生に深く関わる教員という職業を目指していないことに安堵しています。」
と。
さらに
「私がメインで教鞭をとる大学の偏差値は関西学院大学より低いかもしれませんが、教育学部の学生の授業態度においてははるかに関西学院大学を上回っています。」
私も幾度か私語をやめない学生を注意することがありますが、関西学院大学教育学部教育科学コース1年生が履修できる科目の多くの授業は全く不適切なものだと言わざるを得ません。
他の学部他のキャンパスの実態については聞き及ぶ限り大差ないようですが、私が体感している上記の科目においては高等教育の現場と呼ぶには全く適さないものであります。
私が文部科学省の人間なら即刻補助金・助成金支給を停止したいと思いますし、一納税者としても大変腹立たしいものです。
ハッキリ言いましょう。
指定校推薦・スポーツ推薦を全面的に否定します。
他の大学は知りませんが、関西学院大学には指定校推薦・スポーツ推薦による入学者のための受け皿がないのです。
躾・最低限の基礎教育を受けていない者を受け入れる環境が整っていません。
つまりリベラルアーツ系学部や体育学部・スポーツ科学系学科が無いにも関わらず入学させるものですから、文系学部に適当に振り分けているに過ぎません。
そんな学生と教員を目指したり、教育行政等を学び教育関連の職業に就きたいという欲求を持った学生が同じ授業を受講する訳ですから、モチベーションの高い学生にとっては悲劇でしかありません。
許されるなら一度授業をご覧になってもらいたいものです。
文部科学省の役人の方、関西学院の理事の方、ご子息・ご息女を関西学院大学教育学部で学ばせようと考えておられる親御さん、私が書いていることが大げさなものではないことが分かっていただけると思います。
「関西私大の雄」と呼ばれた頃の関西学院大学の面影はもはやありません。
関西学院大学の卒業生だと言うことが憚られる時代がすぐそこに来ていると思います。
もちろん、全学生がダメだと言っているのではありません。
将来のビジョンをしっかり持って学んでいる学生、将来はまだ見えないがその時に備えて様々な場面で学んでいこうとする姿勢を持った学生もいます。
ただ高校の進路指導の先生から「お前、関学の教育学部な。」と言われて来ている学生はほとんど邪魔なものとしか呼べないのです。
少子化が進行している現在の日本において、学校法人の経営は大変難しいことかもしれませんが、人を育てるという尊い事業を目的とした法人だからこそ多額の税金が私学助成金として支給されるのでしょう。
もちろん素晴らしい先輩や学友もいますので、その話についてはまた書きますが、決してその話と今回書きたい話が相殺されるべきものではないと思いますので、現状について怒りを込めて垂れ流します。
関西学院大学教育学部1年生 武部 健也