好きなアーティストのアルバムが発売される前にレコード屋(死語?)に予約をして、発売日前日の夕方に行き無理を言って売ってもらい聞く。もの凄く得をした気分になり、何度も何度も聞く。それをカセットテープ(死語?)に録音し、ウォークマンで通学時の電車の中で聞く。曲の内容だけでなく曲の順番からもアーティストのメッセージが伝わってきたりもする。また何年も経ってから同じアルバムを聞くと当時は聞き流していた曲に心を奪われたりもして、自分の心境の変化や成長に気付かされるときもある。
もちろんその頃も色々なアーティストのアルバムから好きな曲を選んで「マイベスト」テープを作ったりして聴いていたが、今は最初から好きな曲だけを選んでダウンロードして聴くことがいとも簡単。しかも5分の曲をダウンロードするのに必要な時間はわずか数秒。さらにそれらを高さ90 mm幅42 mm厚さ6.5mmのモノに2,000曲も入るというのだから驚き。1枚40数分のアルバムを聴き、その中から好きな曲をチョイスして5分の曲を5分かけて録音し、それを繰り返して1本のカセットテープを作り、頭出しは自分の感覚でテープを巻き戻したり早送りしたり。そんな時代と今は同じ音楽を聴くという行動でも随分違うものだ。
ものを調べるとき百科辞典を使っていた。ある言葉を調べようと百科辞典のページをめくっているとその言葉にたどり着く前に別の言葉に目が留まりついその項目も読んでしまう。また、目的の言葉に到達してもその前後の項目も読んだり、他のページをめくって読んでいるうちに知識が広がったりしていたものだ。今のあらゆる電子辞書は目的の言葉を入力すると瞬時にその言葉の意味を表示する。
携帯電話の無い時代彼女とデートの約束をするためには家に電話を掛けるしかなかった。恐い両親が出ないことを祈りつつ、また両親のどちらが出ても好感を持ってもらえるよう言葉を準備しつつ。努力して迎えたデートの日、不測の事態が発生し約束の時間に遅れてしまうことに。遅れることを彼女に伝える術も無く1秒でも早く約束の場へ向かう彼と、彼の身を案じつつひたすら駅前で待つ彼女。ようやく会えた二人の顔には待たせた申し訳なさや待たされた怒りよりも、会えた喜びの表情が満ちている。
楽しいデートの途中些細なことから口論になってしまった。挙句デートは中断となりお互い家路に着くことに。反対方向の電車に乗った二人は電車が動き出した瞬間後悔し、謝ろうと思うが時既に遅し。その機会は1時間半後の彼女が家に着く頃まで無い。その頃を見計らって彼女に電話し謝り次のデートの約束をする。感情的な行動をとってしまったことを大いに反省しつつ。
彼女とのデートの約束は携帯電話で。遅れることを伝えるのも携帯電話で。謝ってお互い次の駅で降りて引き返して15分後にもう一度会うことを伝えるのも携帯電話で。
便利なことはいいことだ。何も否定するつもりは無いが、便利なことは豊かなこと?
「便利なことは豊かなことか?」
結構、考えてしまいますね。
この記事読んで、少しそんな視点で物事を観察してみようと思う今日この頃。
便利なことは間違いなくいいことだと思いますが、それを使いこなす人間の資質を問われるでしょうね。
一方で私は便利は人をダメにするとも思ってます。私の記憶力は年齢以上に衰えてますから・・・。