大和出版印刷という会社は1948年に創業し、たくさんの活字職人を抱えた文字組を得意とする印刷会社でした。
私が高校2年生の夏、当時社長だった私の祖父から会社にアルバイトに来るよう言われました。その仕事内容は解版(改版ではありません)というもので、印刷が終わってその使命を終えた活版を崩すというものでした。しかし正しい解版とは活字を元の棚に戻したり、材質の違うものを仕分けしたり、再利用可能か否かを判断したりするものでしたが、私の行っていたそれはゴミの分別に過ぎませんでした。材質の違うものを仕分けるだけで、再利用については全く考慮されていませんでした。つまり活字を捨てるという作業だったのです。活字職人の隣で・・・。
私は作業の内容についての説明は受けていましたが、その目的については知らされていませんでした。しかし、しばらく作業をしているとそのことに気付き、職人の隣でこの作業をすることに大変な罪悪感を持ち始め、重い版を運び誰もいない工場の片隅で作業をするようになっていました。作業をしていると70歳近い職人が私のところにやってきて、どうしてこんな所で作業しているのかと尋ねてきました。私が感じていることを話すと、その職人はニッコリと笑って「なんや、そんなこと気にしとったんか。わしはこの仕事50年ちこうやっとうけど、寂しい思わへん。気にせんと真ん中の広いとこでやり。もう活字の時代やないことくらいみんな分かっとうから。せやけど、あんたらの時代はおんなじことで50年飯食われへんかもしれんで。何が幸せなんか分からへんもんや。」
それから7年後に私が入社した時は会社のコンピュータシステムが第二世代になる時でした。数百年の歴史を持ち、35年会社を支えてきた活字を捨てて選んだコンピュータシステムはわずか7年でその限界を迎え全く別のシステムに道を譲ることになったのです。
先日大連へ向かう飛行機の中でこんなことを思い出していました。
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