先日長男(中学3年生)の文化発表会(文化祭のようなもの)を観に行ってきた。合唱や英語劇等があったのだが、それぞれ素晴らしく中学生の頑張りに胸が熱くなった。なかでも吹奏楽部の演奏は素晴らしく、トロンボーンやクラリネット等のソロが終わると涙がこぼれそうになった。一所懸命練習して、この舞台で上手に演奏している姿に感動してしまった。私の息子はサッカー部でその舞台にはいなかったが・・・。
涙腺がゆるゆるな私は感動に浸りながら一人自宅へ向かって歩いていた。角を曲がった時、その中学校の制服を着た5人くらいの男子中学生が前を歩いていた。その瞬間私に気が付いたのか一人がタバコを溝に投げ捨てたのだ。私はとっさに
「こらっ、ちょっと待て!こっち来い!」
と言ってしまった。脳裏に「最近のガキは加減を知らんから5人がかりでやられるかも・・・」とよぎったが、もう遅い。ヤバくなったら恥も外聞もかなぐり捨てて助けを求めて叫んでやろうと思っていたが、こっちへ来たのはタバコを捨てた一人だけ。しかも私より小柄。
「お前今タバコを捨てたやろ!拾え!」
と言うと、素直に溝に降りタバコを拾ってきた。拍子抜けした私は持っていた携帯用灰皿に吸殻を入れさせ、
「お前何年生や?」
「3年です。」
です?え?ますます拍子抜けしてしまった私はとりあえず名前を聞いたのだが、その後に言ったことは「タバコはポイ捨てするな。」と「制服着て堂々と外で吸うな。」「中学生はまだ早い。背が伸びひんぞ。」って・・・。何言ってるんやろうなぁ・・・。
「お前ピアスしとんのか。生意気なガキやなぁ。勉強せぇとは言わんけど、悪いことばっかりしとらんとマトモなことせぇよ。」
とばつが悪そうにしている彼と少し話しながら歩いていた。すると、
「友達のところに遊びに行くので、こっちへ行きます。さようなら。」
と言って彼は角を曲がって行った。さようなら?
ますますよく分からなくなってしまった。
警察へ突き出して補導してもらうべきだったのだろうかと悩みつつ、呑気に昼寝した土曜日の午後。
2007年10月アーカイブ
最終ラウンドの終了ゴングが鳴ると、お互いの健闘を讃え合い抱き合って握手する両選手。勝者が告げられると敗者である挑戦者が今までの非礼を詫びるため深々とそして長々と頭を下げる。試合後の会見では謝罪の言葉と共に勝者を讃え、さらに自分の未熟さ非力さを謙虚に認める。そして同様の態度の父と兄。
「こんな奴負けてまえ!」と思っていた私は、それを見てそんな思いを恥じ、この青年の成長とリターンマッチによる王座奪取を見たいと思うようになった。素晴らしい試合を見ることができて本当に幸せだ。
・・・。
先日の所信表明演説や代表質問を聞いていて、以前ある方から言われた言葉をあらためて思い出した。
金融機関の支店長が2,3年で交代することの理由についてである。
長く同じところに留まると不正を行いやすいことも理由の一つであるが、それ以外に交代する人物のタイプの違いにも理由があるというのだ。それは簡単に言うと「攻め」の次は「守り」ということ。
つまり、イケイケタイプの支店長がドンドン融資先を開拓した後、慎重派支店長がそれを精査するというのである。もちろん全金融機関がそうではないだろうし、現在は違う考え方に基づいているのかもしれないが、要は攻めるばかりは危険だし、守りばかりでは発展がないということ。
それを当社に置き換えて説明してくれた。つまり創業者である私の祖父はイケイケタイプ。もちろんそうでなければ会社を興すことはできない。そして二代目である私の父はしっかり守り抜いて会社を軌道に乗せた。では三代目(正しくは四代目だが世代としては三世代目)の私はどうあるべきか?その方がおっしゃるには兄がアクセルを踏み過ぎれば弟がブレーキを、弟がアクセルを踏み過ぎれば兄がブレーキをとうまくバランスがとれていた。それを今は一人でやらなければならないので注意深くするように。どちらを踏み過ぎても会社はうまくいかない。
なるほど。私はこの言葉を深く胸に刻んでいる。
何故先日の所信表明演説等でこのことをあらためて思い出したのかは分からない。
今の内閣が「攻め」とも「守り」とも、あるいはバランスがとれているとも思わないのに。
のらりくらりしているだけの「かわし」内閣はほとぼりが冷めるのを待っているのだろうか。我々国民もバカにされたもんだ。