完璧

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おふくろが死んで3ヶ月以上が経つ。

山本はるみは昭和11(1936)年2月19日に兵庫県加東郡社町に生まれた。
神戸から疎開してきた武部誠一と同級生になった。
誠一は中学卒業前にクラスの女子生徒全員に手紙を書いた。
返事を書いた二人のうちの一人がはるみだった。
中学を卒業した誠一は社高校から立命館大学に進み、卒業後大和出版印刷株式会社に就職した。
一方、はるみは中学卒業後看護学校へ進み神戸市立中央市民病院で看護婦として勤務した。
その頃の患者さん家族と今でも交流があるのだから、きっと献身的に看護する人だったのだろう。
結婚を機に退職し神戸市灘区で3男をもうける。

「俺の前に流産したことがあるらしい。子供は3人までと決めていたらしいから、その子が生まれていたらお前は生まれてなかったな!」
と笑いながら三男の私に言う長兄は無邪気が過ぎる人だった。

昭和51(1976)年に須磨区高倉台に移り住み、その後の約40年間を過ごす。
その間3人の息子を育て、社長夫人としても内助の功を果たす。
三男が社会に出てからは年に数回夫婦で旅行に行く等ようやく家事のみの生活から解放された。
しかしそれも数年で終わりを告げ、誠一の右足に前立腺がんの胸椎転移による麻痺が出る。
外出が億劫になる誠一は自宅に籠もる生活になり、はるみの手を煩わせた。
そんな平成16(2004)年5月2日長男の伸也が急死する。

その後軽い脳梗塞や肺炎を起こし度々入院した誠一を献身的に看病し、平成21(2009)年2月9日に自宅でたった一人で看取る。
その年の秋には孫を、4年後には次男の哲也を失うも、常に気丈に振る舞い取り乱すことは一切なかった。

未亡人となったはるみは旧知の友人との時間と、孫たちの成長を見ることだけを楽しみにしていた。

平成27(2015)年の春に肺気腫で入院し、3ヶ月後の7月24日多くの人が待つあっちへ逝った。

人のおかんの話なんかどうでもええわと思われるだろうけど、自伝を書く人でもなかったので、書いておかないとあの人が生きた証って残せないんじゃないかと思って書いてみた。
もちろんこんなに短くまとめても残っているうちには入らないと思うが、書かないでおくことはできなかった。

多くの家族を失って一番辛く思うことは、人が一人死んでも世の中は普通に動き続けるということ。
あんなに大切な人がこの世からいなくなったのに、何事もなかったかのように時間は流れ、人は生活していく。
当たり前のことであることは分かっているが辛い。

本当は先月5日の四十九日の翌日は大雨で、当日はさわやかな日だったこともおふくろの力によるものだという非科学的な話。
先日社町の山本家の墓に報告に行った時に偶然会ったおふくろのいとこに事情を説明した際、「はるみちゃんらしい最後やね」と言われたこと。
僕が知るおふくろの素晴らしいところをいっぱい書きたいねんけど、ええ歳こいてマザコン丸出しにするのもなんだし・・・。
あ、もうおらへんから元マザコンか。

通夜の前の晩、おふくろと二人になった。
おふくろの亡骸の横で一晩を過ごした。
おふくろの顔を何度も撫でた。
物心ついてからおふくろの顔を初めて触った。
おふくろに何度も礼を言った。
何度も謝った。
何について謝ったのかは知らないが何度も謝った。
その何倍も礼を言った。
「俺が言うとは思えないセリフ、陳腐過ぎる言い回しやけど、俺、ほんまにあなたの息子で良かったと思ってるわ。自慢の息子ではないことは知ってるけど、俺はあなたの息子であることを誇りに思ってるで。」
と実際に声に出してしまった。
ほんまに声に出した。
こんなセリフ生きている人が周りにいたら言われへん。
泣き崩れることはあまりできなかったけど、ほんまにこんなに悲しいことはなかったんや。
こんなに悲しいことはなかった。
僕はめちゃくちゃ悲しかったんやで。

何か言うて欲しい訳じゃないけど、おらんのはやっぱり寂しい。

忘れることで人間は生きていけるかもしれない。
でも忘れたくないこともある。
自分がその人を忘れることが怖いのではなく、身近な人が亡くなって最も悲しいことは、その人が周りから忘れられ何事もなかったように時間が過ぎていくこと。
僕はこの11年間ずっとそう思っている。

どうして乗り越えた?って聞かれても、乗り越えた記憶もない。

誠一の葬儀での会葬御礼で、はるみが「子煩悩な人でした」と言った時、全くピンとこなかったが、先日実家で見つかったこれを見て納得した。
確かに子煩悩な人だった。

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おふくろも。

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四十九日では僕を見守ってくれていたおふくろの長男と孫も一緒に納骨した。
一つの区切りがついた。

この世では4人家族になってから2年半で僕が生まれて5人になったが、あの世ではもっと先にしなければ。
たくさんの土産話を持って再会せねば。

僕は一度もおふくろを嫌いになったことがない。
思春期・反抗期に「ばばぁ」とか「うるさいんじゃ!」とか言ったことはあると思うけど。
大人になってからももし痴呆が進んでしまったり、介護が大変な生活になってしまっていたら、そのことに疲れおふくろのことを嫌いになる瞬間があったかもしれない。
そしてその自分に対して嫌悪感、罪悪感を持ち続けたに違いない。
そんなことあの人は僕にはさせなかった。
そんな気持ちをあの人は僕には持たせなかった。

僕はおふくろを一瞬たりとも嫌いになったことがない。
僕はほんの一瞬たりともおふくろを嫌いになったことがない。


少し時間ができたので、久しぶりに垂れ流してやった。
失礼。

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このページは、kenboが2015年10月29日 19:35に書いたブログ記事です。

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