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今日は親父の命日。
親父もおふくろも、そして二人の兄貴もあの世から僕を見てるんだろうなぁ。
見てるはず。知らんけど。
楽しい人生を送っていて、それほど寂しさは感じないけど、やっぱりたまには寂しがってみようと思う。

親父とはよく一緒に酒を飲んだ。
よく色々な話をした。
でも仕事を一緒にするようになったのに、仕事の話はそれほどしなかった。
親父は今の僕の年齢より上になってから、新しいソフトウェアの講習を受けた。
別の講習を受けていた僕の横で受けていた。
子どもに教えるような口調の講師から教わっていた。
後に屈辱的だったと言っていた。
いつまでも学ぶ姿勢が大切であると、身をもって教えてくれていたのかもしれない。

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線香代わりのタバコに火をつける時、口の中に広がる不快感。
ベビースモーカーだったことが信じられない。
今から約15年前に喫煙を休止したが、それまではセブンスターを愛し、一日に二箱以上吸っていた。
親父が愛し続けたのはロングピースだった。

親父のことを書く時の一人称は「僕」でよい気がしている。
親父に会いたくなった。

昨日、卒業論文を提出してきました。テーマは「高等教育行政に関する研究」です。
リカレント教育を実践する者として、1986年に入学した関西学院大学社会学部と2018年に入学した関西学院大学教育学部の間に感じた学生の質の劣化や、新規卒業者と社会とのミスマッチが、高等教育の現状に起因すると考え、高等教育の変遷と我が国の国際競争力の低下との関連性等について書きました。
書き進むうちに中等教育時の動機付けの重要性を再認識することになるのですが・・・。

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この卒業論文の単位が認定されれば5年間の大学生生活を終えることになります。
関西学院大学教育学部に入学しようとした動機は、教員を取り巻く環境が悪化する中で、教員が理想の教育を実践できるような環境を整えることに役立ちたいと願い、教育学を学ぶためでした。
特に人生設計において最も重要な時期と言える中等教育時代に重きをおいて教育行政・教育制度・学校経営等について学び、卒業研究もそれらのことについて取り組む予定でした。
しかしながら、32年ぶりに入学した母校関西学院大学の質の劣化に驚愕し、卒業研究のテーマを高等教育の現状に変更したのです。
なかなか執筆に取り組めない日々が続き、軽いスランプに陥ってしまったのですが、執筆し始めると18歳人口の減少や、日本の大学の世界的順位の下落、日本の国際経済競争力の衰退、日本の論文の被引用件数の減少等、悲観的なデータばかりが目に付き、さらに深いスランプに陥ってしまいました。
しかし、研究というものは、それら悲観的な事象をどう好転させるかというところに意義があるという考えに至り、何とか11月中旬には約24,000字の卒業論文をほぼ書き終えることができました。
内容的には満足していませんが、ポンコツの脳みそを再起動させて、研究の手順や論文の執筆方法を学び直すことができたことは大きな収穫であったと思います。
今後も何らかの形で学び続け、世の中のお役に立てる人間へ成長したいと思います。
卒業論文執筆完了のご報告という久しぶりの学生生活日記でした。
関西学院大学教育学部5年生 武部 健也

今日は当社創業者である祖父の34回目の命日。
8月決算の当社にとって期末の報告も含めて毎年ここに立つ。

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今期は大変厳しいものとなった。
原材料・各種資材・消耗品・光熱費等の高騰を製品価格に上手に反映できなかったことが最も大きな要因である。
長く続くデフレが多くの人々を幸せにしていないことは明確である。
低価格の製品を作るために、国内の雇用状況は悪化し、ここ30年の日本人の平均所得はほぼ変わっていないという状態。
適正品質・適正価格・適正所得。
良いモノ作りで経済発展を遂げたこの国は、もう一度全てを見直さなければならないのではないだろうか。
ほんの少しだけ涼しく感じる墓前で考えた。

今日は弊社二代目社長だった親父の命日。
生きていたら86歳。
何度も一緒に甲子園球場に行った1985年や、よく三宮に飲みに連れて行ってもらっていた学生時代を思い出す。
会社に入ってからは仕事の話はそれほどしなかった。

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親父が54歳、つまり今の私の年齢の時、私は大学4回生。
今の私は54歳の大学4回生。
墓前にて社業と卒論に注力することを誓う。

今年もここへ来ることができました。
弊社創業者であるじいさんの命日は、8月決算の弊社の期末に近いため、今期も無事に終えることを報告できます。コロナ禍という非常事態下にありながら、無事に来期を迎えられることは無上の喜びです。
じいさんは40期社長を務め、その後親父が15期、そして私が18期務めたことになります。
悲しいのは56期首社長に就任した兄貴がその期中に死んだため、名前がどの決算書にも無いことです。

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会社のことについては常に3人に見守られている(見張られている)ことを感じていますので、孤独を感じたことはありません。頼りない私を代表取締役にしたのですから、彼らの義務であると思いますが、それにしてもあの世に行ってからもうるさい3人です。
高級な純米大吟醸でも供えろよとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、じいさんはワンカップが大好きでした。
決してケチっている訳ではありません。

stryker

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手術からちょうど一年が経過した今日、定期検診を受けてきました。
右の人工股関節との付き合いが一年になった訳ですが、すこぶる順調で違和感も全くなく普通の暮らしを送っています。感謝しかありません。

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昨年の今頃も新型コロナウイルスに翻弄されていましたが、一年経ってもまだ感染者数が減らない状況にあります。ただ死者数の減少傾向や重症化率が低下していることにも着目しなければならないと思っています。
昨年医療従事者の皆さんに大変お世話になった訳ですから、医療従事者に負担を掛けるべきではない気持ちを強く持っていますが、日常を取り戻し経済活動を活発にする必要性も感じています。

前へ進まなければならないと思うこの時に、オリンピック選手の頑張りには大きな力を与えてもらっています。
金メダリストがインタビューで「賛否ある中での開催であることは承知していますが・・・」。聞いていて辛い気持ちになりました。
少し前に観た舞台「魔界転生」からも大きなエネルギーをもらいました。
不要不急?
スポーツやエンターテイメントの持つ力の大きさや心に与える潤いの重要性をあらためて感じました。
コロナ禍から得なければならないこともありました。

先日、右股関節の人工関節置換術を受けました。
今から約2年前、股関節に痛みを感じ整形外科病院にて特発性大腿骨頭壊死症と診断されたその時から、人工関節置換術が最も有効な治療法だと言われていましたが、人工関節の寿命が約15年であるということからしばらく経過観察することになりました。
その後痛みは一進一退を繰り返し、だましだましの日々を過ごしていましたが、今年に入り痛みは進行するのみで退いてくれることがなくなり、今年の1月に再度受診したところ、病状はかなり進行しており、骨頭が潰れているようでした。
さらに4月に入ると歩行困難になってきたため、大学の夏休みを利用して手術を受ける決心をし、7月29日に神戸海星病院に入院、翌日手術を受けました。
当初1か月間の入院を覚悟しておくように伝えられていましたが、手術後すぐに始めたリハビリと病院内での自主トレに精を出したことで最短の2週間で退院することができます。昨日抜糸をし、各種検査結果、理学療法士の判断で本日退院します。
完全復活を目指し今後もリハビリを続けていこうと思っています。
この入院期間中、医師・看護師・理学療法士をはじめ多くのスタッフに大変お世話になりました。彼らの一挙手一投足に真のプロフェッショナリズムを感じました。成功して当たり前、失敗が全く許されない医療の世界で、手術室では緊張感をほぐすべく柔らかな表情・明るい声で迎えてくれた手術スタッフ、入院病棟では患者の心の細かな変化にまで気を配る看護師の言動、担当者間の引継ぎ事項の緻密さ、異なる職種のスタッフ間による情報交換・意思疎通のレベルからは生命に関わる仕事に従事しているというのではなく、仕事そのものに生命を感じました。うまく表現できませんが、日々の自分の姿勢を見直すと共にそのように感じたのです。

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術後落ち着くまで過ごした南向きの部屋の窓から見える夜景、後半過ごした北側の山を望む景色にも癒され、まさに聖母マリア様の懐に抱かれたような入院生活を送らせてくれた神戸海星病院に感謝です。

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そしてこれまで多くの方々にご心配をおかけし、多くの励ましのお言葉をいただきました。心より感謝しております。
ありがとうございます。

同じような症状に悩んでいる方、入院・手術を控えていらっしゃる方にお役に立てばと思い、以下に経緯を記しておきます。

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2018年4月頃より右股関節に違和感。
2018年6月1日痛みが増したため市内整形外科医院を受診、レントゲン検査の結果特発性大腿骨頭壊死症の疑い。
2018年6月2日MRI検査、同月医師より確定診断。
人工関節置換術以外に治療法はないが、人工関節の寿命が約15年であることから、経過観察。
その後痛みが緩和したため放置。
2020年1月痛みが増したため市内整形外科医院を再受診、レントゲン検査により病状の進行を確認。
2020年4月頃より歩行困難になってきたため、6月3日神戸海星病院を受診、医師によるレントゲン写真での診断の結果、2020年7月30日に手術が決定。手術前日入院、約1か月で退院の見込み。
6月4日難病指定されている疾病のため、神戸市中央区役所に特定医療費支給申請。
7月1日9:00より採血・検尿・CT・レントゲン・MRI・下肢エコー・心電図・昼食・自己血貯血400cc・整形外科問診・リハビリセンターにおいて術前運動の指導14:00終了。
7月15日10:00より自己血貯血400cc・薬局での指導12:15終了。
7月22日10:00より新型コロナウイルスPCR検査10:20終了。
7月29日10:00入院、担当看護師から術前術後の説明を受ける。手術は明日9;30開始12:30終了予定。採血と血糖値検査。昼食後麻酔科からの説明に続き手術担当看護師からの説明、その後食後血糖値検査。14:30レントゲン15:10リハビリセンターでの筋力計測16:50管理栄養士説明17:50執刀医より詳細説明を受け手術同意書に署名18:00夕食20:00浣腸22:00就寝。
手術前は手術日が近付くことを不安に思ったり緊張感を持ったりしたが、入院が近付くと入院生活を楽しみにし、当日になると術後を楽しみにするようになり、精神的に非常に安定した状態で当日を迎えた。
7月30日5:00起床6:30から点滴9:20自力歩行にて手術室へ。手術台に横たわり看護師と会話中に麻酔薬にて意識がなくなる。
12:30痛みの絶頂で目が覚める。過去に経験したことのない痛みで錯乱状態に見えたようだが、周りを囲む医師や看護師の顔もハッキリ見えていたし、声もハッキリ聞こえていた。16:30血圧計と酸素マスクが外れた頃、一段落。痛みは40%くらいに。
7月31日朝から点滴、体を拭いてもらい着替え、午後も点滴、16:00からリハビリ。
8月1日10:00尿の管を抜いてもらう。違和感はあるが、聞いていた痛みはなかった。13:00からリハビリ。
8月2日10:00よりリハビリ、前日より調子が良いとは言えない。オーバーワークは禁物。焦らないようにとの指示。
8月3日8:00血液検査。久しぶりに右脚を見ると全体的にかなり腫れている。15:30術後初のシャワー。(以降2日に1回)
8月4日・8月5日リハビリと自主トレとしての院内散歩。
8月6日脚の腫れは太ももからふくらはぎと足の甲へ。痛みより腫れによる不快感で眠れない夜を過ごし8:00血液検査。朝食後傷の確認とガーゼの交換。昼食後レントゲン・エコーによる血栓の検査。リハビリと自主トレ。
8月7日リハビリ後、歩行器から杖での歩行に移行。この日から4:30起床、7:30の朝食後コーヒーを飲み自主トレとしての院内散歩。12:00の昼食後リハビリ、15:00コーヒーを飲み自主トレとしての院内散歩。17:00シャワー(2日に1回)18:00夕食22:00就寝が繰り返される。
院内散歩中デイルームでよく会う患者仲間のおばちゃんに「にいちゃんよう頑張るなぁ」もルーティンに。
8月10日15:00からのリハビリでついに杖なし歩行の練習。
8月11日リハビリと自主トレによる筋肉痛のピーク。状態の改善の速度が落ち、精神的に少し落ち込む。
8月13日朝血液検査、午前中リハビリと自主トレ。13:30エコーによる血栓の検査、レントゲン、骨密度検査。16:00白血球数と炎症を示す数値に気掛かりな部分はあるが、十分注意することを条件に退院が主治医より許可される。
8月14日退院。
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自主トレである院内での歩行練習の際、病棟の西端にたどり着くといつも三宮の方向を見ていました。
「早くあの街に帰りたい」

52歳 武部健也

今日で大学3年生の春学期が終了しました。
現在のところキャンパスへの立ち入りが基本的に禁止されていますので、定期試験はありません。全て平常点と定期試験に代わるレポートで評価されます。
授業が終わり、先ほど最後のレポートを提出しました(もちろんネット経由で)ので、春学期の全てが終わりました。

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今学期はとうとう一度もキャンパスに行くことがなく全てオンラインによる講義でした。
リアルタイム講義形式の大人数が履修している授業や、リアルタイム演習形式でディスカッションを重んじる授業、教員が資料と共に動画や音声をアップし一週間以内に学生が視聴する形のオンデマンド型授業等の形で授業が進められました。
ほぼ全ての科目で毎週レポートが課せられていたため、学生もなかなか大変な日々を過ごしましたが、教員にとっても相当な負担だったと思います。なかには授業動画を見終わった後、先生の作成・編集のご苦労を思うと感動さえする程のものもありました。
そんな中、私が1年生の時に履修し最もためになり好きな科目に今回聴講生として参加させていただくことができました。一度履修した科目でしたので、単位は修得できませんが、欠かさず毎回レポートを提出し出席しました。
私が1年生の時の同科目の履修者は私一人だけでしたが、今年は私を含めて8名が参加しました。教育学そのものを学びたい私にとってかけがえのない授業でしたが、教員を目指す学生にとっては教員免許取得に関わる科目ではありませんので、履修を勧めることにほんの少しだけ躊躇いがありました。しかしながら私が誘った学生は全員私同様毎回レポートを提出し、皆勤で積極的に発言を繰り返しました。なかには履修できる単位数がいっぱいなので、私と同じ聴講生という立場の子もいましたが、彼女もやり遂げました。
1年生2人、3年生5人、4年生1人は授業が終わる頃には多くの知見を得、明らかに成長していました。
最終授業終了後、私が誘った学生は異口同音に私への感謝を表してくれました。胸が熱くなり目にはうっすら涙がにじみました。青春です。

しかしこのような科目は大変まれで、やはり教員の生の声やその場の空気感、そして自ら文字を書くことの重要性を思い知らされる場面の方が多く感じました。
学びを深めるためには時として「便利さ」が邪魔になることが再認識されました。
教育学部の学生にとっては今期の自らの学び方によって、教育の本質を考える機会になればこのような状況を少しでも肯定的に捉えられるのではないでしょうか。
秋学期に学友たちとキャンパスで共に学べることを願いつつ夏休みに入ります。しばらく社会人に専念します。
関西学院大学教育学部3年生 武部 健也

あれから16年。
兄貴が死んだのは兄貴が42歳の誕生日を迎える2週間前だった。
数日後にドイツでの印刷機材展示会を視察に行く予定だった。
突然だった。
「ほな、お先に!」と会社を出る時に聞いた声が最後だった。
と思っていた。
何年か後、じいさんの命日に墓参した時に聞いた。
「がんばれよ!」
兄貴の声だった。

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17回忌法要は延期になった。
COVID-19なんていう得体の知れないウイルスのせいで世界中が混乱の中にある2020年5月2日。
あらゆることにそれほどストレスを感じない方だけど、毎日の家飲みはさすがに飽きてきたぞ!
一日も早い終息をそっちからも祈ってて!
「生きてる奴らで何とかせえ!」

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「はい。」

先日、来年度から始まる研究演習(ゼミ)の選考がありました。私は教育制度論や教育社会学を専門とされておられる先生のゼミを志望したのですが、選考に漏れました。面接を受けた結果落とされてしまったのです。
発表された直後授業をサボり、家に帰って缶ビール。鰻屋の開店を待ってビール。寿司屋に移動して焼酎。その後BARを3軒ほどはしごしてハイボール。
完全に記憶を失ってしまいました。
それから数日間は学校にも行かず毎晩飲み歩いて過ごしてしまいました。
でもその数日の間で僅かなシラフの時間帯に色々考え一つの結論を出しました。

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ゼミは卒業必修科目ですので、第一次選考で定員に達していないゼミを第二次で選ぶという道があるのですが、元々学位を取ること目的として50歳で教育学部に入学した訳ではありませんので、学びたい内容とは違うゼミを選択することはやめようと思います。
また教壇に立つことを目的としていた訳でもありませんので、教員免許取得のための必修科目の履修も中止しました。
来年度はゼミを履修せず、他学部開講科目も含め取りたいと思える科目だけを履修して何にも縛られない学生生活を送ってみようと思います。
自分の中で納得ができればその時点で自分なりの卒業論文を書き上げて中退するか、1年遅れでゼミを履修し卒業を目指すかのどちらかになると思います。

それにしてもまさか落とされるとはなぁ。
やっぱりフレッシュさが無かったのかなぁ。
でもこれが私にとって最良の道になると信じています。

一週間ほど学校に行っていない間、同級生・先輩、キャンパスのスタッフの方々が私のことを心配してくれていました。久しぶりに私を見て涙ぐんでくれる子もいました。異口同音に「このまま中退しないで欲しい」。泣けてきました。
私、現在52歳ですが、こんな熱い学生生活を送っております。
関西学院大学教育学部2年生 武部 健也

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