ぬりえ日本

茨城県で被災した筑波大学の学生たちが自分たちも他の被災者の方々に対して役立ちたいと考えた。
彼らは芸術専門学群に所属する学生なので、芸術に関する役立ちについて考えた。彼らが出した結論は「ぬりえ」だった。
ぬりえには心の安定を保つ効果があるようなので、続く余震の中での避難所生活でストレスを溜め続ける人たちの気持ちを少しでも穏やかにできればと考えた。同時に子どもだけではなく、お年寄りにも脳の活性化を促すなどの効果も期待できるようなので、広い世代に役立てると考えた。
ぬりえ日本(http://www.nurie-nippon.jp/)
学生は絵を描くことはできる。しかしそれを大量複製して被災地へ届けることはできない。そこで絵が下手な神戸の印刷屋のおっさんの登場。印刷は任せておけ!紙は紙屋さんに余っている紙をもらい、材料は良心的なベンダーから無償提供を受けたので、我々は印刷関連の労働と運送料を提供したのみ。色鉛筆やクレヨンも賛同いただけた企業からの提供によるものなので多くの人や企業が学生たちの思いに共感したということ。
その学生たちが先日石巻市と気仙沼市の避難所を回ってきた。ぬりえを持って。
実際に目にする被災地の状況は想像以上の悲惨さだっただろうし、そんな中ぬりえを持って回るのも少し気が引けながらだったのではないかと推察していた。
しかし彼らからの報告によると子どもたちは一所懸命にぬりえに取り組み、未就学児もそのお兄ちゃんお姉ちゃんたちも笑顔に包まれ、周りに気兼ねするくらいの笑い声が起こる温かな時間が流れたらしい。
お年寄りたちが暮らす避難所においては、最初興味を示さなかった男性たちもおばあちゃん達と若者の楽しそうな会話の輪の中に入ってきて、ぬりえをしながら昔話を聞かせてくれたり大変楽しい時間を過ごしたようだ。
しかし彼らは悩んでいる。また来ることを期待されたり、予想していた以上にぬりえをすることを楽しんでくれた姿を見れば、この活動をどれくらいの規模でいつまで継続すべきなのだろうと悩んでいる。学業も疎かにできないと悩んでいる。
私はできるだけのことをできる間続ければいいと思っている。ボランティア活動の専門家等に言わせるとそれではいけないのかもしれないが、困っている人たちの要求があれば自分にできる全力を尽くすということがただ一つの正解だと私は思っている。
大きなことはできない、長い間はできない。だから小さなことをしない、短い期間だからできないということは決して正しいとは思わない。
命に直接関わる医療関係の方々はそういう訳にはいかないかもしれないが、我々にはできることをできるだけの間やるということが大切であり、たとえそれぞれが小さな取り組みであったとしても寄せ合ったり引き継いだりして輪を広げていければいいと思う。
彼ら学生はいい経験をした。自己満足ではなく真剣に被災者の方々のことを思い、必要とされるところに赴いた。そして被災地の人たちは楽しいひと時を過ごすことができた。それ以上のことがあるのだろうか。
その報告を聞いて少しでも手助けできた我々も嬉しい気持ちになった。
先日も宮城県のある方からヘドロや瓦礫のため園庭で遊べない幼稚園児のためにぬりえを送って欲しいという依頼があった。嬉しい限り。これからも絵が下手な神戸の印刷屋のおっさんにできることをやりたいと思っている。
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明日から行く大連で日本人のたくましさ、思いやりの深さを自慢してこようと思う。

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