僕が生まれて一家は5人になった。
先週その一家は1人になった。
僕が小学2年生の8月31日の夕方に、夏休みの宿題のため川の上流と下流の石を拾いに連れて行かれたこと。
高学年になると神姫バスの座席でどちら側に座るとおふくろを守れるか悩んでいたこと。
保護者懇談会のたびに「言っても聞かない時はどんどん殴ってください」と先生にお墨付きを与えていたこと。
鯨の皮を具材にした粕汁。
コロッケ。
中学入試の日に須磨駅前の店で一緒に食べたオムライス。
先週月曜日の海の日、文具大賞機能部門のグランプリを受賞したことが掲載された雑誌を持って見舞ったのが最後だった。
とうとう誰の死に目にも会えなかった。
土曜日に通夜、日曜日に密葬を終えた今週月曜日、連絡しなかったことを叱られると覚悟して社(やしろ)まで報告に行ったが、おふくろが見舞いに来た叔父に密葬にするので誰にも連絡しないと言っていたらしく、叱られることもなかった。
医師には一切の延命治療を拒んでいた。
最後まで明晰だった。
2015年7月24日(金)14時56分武部はるみ死去。
享年80。
肺気腫だった。
でも最後はそれほど苦しまなかったようだ、恐らく心臓がもたなかったのだろう。
安らかな顔だった。
3人の息子のうち2人に先に逝かれた。
孫にも1人先に逝かれた。
僕はちゃんと見送った。
それだけ。
僕の中にあの人の血が流れていることを心の底から誇りに思う。