大学院生生活の2年目が始まった。
今春の関西学院大学大学院教育学研究科の新入生は6名と多く、我々2年生3名の研究室は隣の小さな部屋に移動させられた。しかし、新入生の中の1名が同じゼミなので、私にも後輩ができたことになり嬉しい限り。
先週の土曜日に始まった「なんで私が神説教」というドラマはおもしろいかもしれない。
昨年好きだった「不適切にもほどがある!」に通ずるものがあるように感じる。
先に生まれた者が「自分のことを棚に上げて」自分ができなかったことにまでも物申さないと、後に生まれた者たちは劣化していくほかなくなる。
勉強ができなかった世代の人たちが、次代の者たちに勉強をさせる。受験勉強ばかりにあらゆるものを捧げてきた世代の人たちが、次の世代に違う形の学びを与えたくなるのは正しいことだと思う。
しかし、現在のあらゆる種類のハラスメント、聞いたことがないようなハラスメントに縛られた社会は、言いたいことも言えない状況にある。
もちろんコンプライアンスが重要であることは間違いないが、過剰とも言える言動狩りは、不寛容で排他的な風潮を助長するものになっているのではないだろうか。
これらのことが次代を担う世代の人たちに、幸せをもたらすとは考えにくい。
だからこそ、このようなドラマが生まれてきて、現在の世間の風潮に一石を投じようとしているのではないかと感じる。
オークラさんは1973年生まれ、宮藤官九郎さんは1970年生まれ。私もほぼ同世代だが、脚本を書く才能には恵まれていないようなので、他の場面で未来を明るいものにするために尽力したい。
そのためにあと一年間、キャリア教育について研究を続けていく。
関西学院大学大学院教育学研究科2年
武部 健也